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横山昊太

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横山昊太
よこやま こうた
生年月日 1889年5月8日[1]
出生地 日本の旗 岡山県岡山市
没年月日 (1974-07-20) 1974年7月20日(85歳没)
出身校 早稲田大学専門部政治経済科[1]
称号 藍綬褒章
勲三等瑞宝章
岡山市名誉市民[2]

在任期間 1951年4月23日 - 1955年4月12日

その他の職歴
岡山市会議員
1921年 - 不明)
岡山県会議員
(不明 - 不明)
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横山 昊太(よこやま こうた、1889年明治22年)5月8日[1] - 1974年昭和49年)7月20日[3])は、岡山県岡山市旭町出身のジャーナリスト政治家。岡山新聞社長[4][5]。旧姓・佐藤

来歴

1889年5月8日、岡山市旭町に生まれる[6]。佐藤武一郎の二男[1][4][5]1916年、横山家の養子となる[1][6]1919年早稲田大学専門部政治経済科を卒業[1]、同年、中国民報(現・山陽新聞)へ入社[6]記者として働く。岡山毎夕新聞[1]、岡山新聞各社長をつとめた[4]

1921年岡山市会議員となる[6]1925年憲政会岡山支部を創設[1]。その後、市会議長、岡山県会議員を務める[6]

1951年岡山市長に当選。1955年まで1期務める[6][7]

退任後は、岡山市政顧問、三恵工業会長を歴任[6]した。

活躍が評価され、藍綬褒章勲三等瑞宝章が授与[6]された。

1974年7月20日死去。享年85。

人物

趣味はスポーツ[4]、運動[5]。宗教は黒住教[4][5]

家族・親族

横山家

岡山市旭町、同市天瀬[1]

  • 養父・里次郎[4]
1860年 -
  • 妻・正恵(養父・里次郎の養子、小松原金次郎の二女)[4]
1895年[1]、あるいは1896年生まれ[4]
  • 長女、長男、二男[1]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k 『早稲田大学紳士録 昭和15年版』905頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年2月20日閲覧。
  2. ^ 岡山市. “岡山市名誉市民”. 2013年4月30日閲覧。 アーカイブ 2017年12月3日 - ウェイバックマシン
  3. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、333頁。
  4. ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第13版 下』ヨ16頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年2月20日閲覧。
  5. ^ a b c d 『人事興信録 第14版 下』ヨ15頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年2月21日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h 『岡山人名辞典』417頁。
  7. ^ 岡山シティミュージアム. “歴代岡山市長 第19代 横山昊太”. 2013年4月30日閲覧。

参考文献

  • 早稲田大学紳士録刊行会編『早稲田大学紳士録 昭和15年版』早稲田大学紳士録刊行会、1939年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
  • 吉岡三平 監修 『岡山人名辞典』 日本文教出版、1978年。

関連項目