コンテンツにスキップ

イウリアニヤ・アレクサンドロヴナ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2022年7月16日 (土) 23:11; EmausBot (会話 | 投稿記録) による版 (ボット: 言語間リンク 1 件をウィキデータ上の d:Q128399 に転記)(日時は個人設定で未設定ならUTC

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)

イウリアニヤ(ユリアニヤ、ウリヤナ)・アレクサンドロヴナロシア語: Иулиания(Юлиания,Ульяна) Александровна、1330年頃 - 1391年3月17日[1])はトヴェリ大公アレクサンドルの娘である。リトアニア大公アルギルダスの二番目の妻であり、ヤギェウォ朝の祖ヨガイラ、リトアニア大公シュヴィトリガイラなどの母となった。

イウリアニヤは、父アレクサンドルプスコフへ亡命していた期間に誕生した。父アレクサンドルの亡命は、1327年に起きた、ジョチ・ウルスに対する民衆蜂起であるトヴェリ蜂起の懲罰軍(ジョチ・ウルスならびにモスクワ公国軍)から逃れたものである。

1347年、イウリアニヤの姉マリヤ(ru)がモスクワ大公セミョーンと結婚すると、イウリアニヤはセミョーンの庇護を受けた[2]。1350年にアルギルダスと結婚し、リトアニア大公妃となった。ヴィテプスクを領有したイウリアニヤは、精霊修道院(ru)、神現教会、ヴィテプスクで最初の女子修道院などの建設、ミハイル教会の改修など、都市の正教建築物に力を入れた。また、ヴィリニュスにはニコライ教会(ru)、聖生の起源三者大聖堂(現・三位一体教会(ru))を建設した。また、イウリアニヤの統治期である1351年にはヴィテプスク城(ヴィーツェプスク城(ru))が強化され、以降300年間の都市防衛の役割を担った。

1377年に夫アルギルダスと死別した後は、リトアニア大公位を継いだ息子ヨガイラモスクワ大公ドミトリー・ドンスコイの娘・ソフィヤとの婚姻、ならびにヨガイラの正教徒への改宗(なお、この段階ではヨガイラは非キリスト教徒)によって、リトニア・モスクワ間の同盟を図ろうとした[3][4]。ただしヨガイラは1386年にポーランド女王ヤドヴィガと結婚し、カトリック教徒となっている(クレヴォ合同)。

1383年に修道女となり、マリナもしくはマルファ(Марина, Марфа)の修道名を得た。死亡年は1391年であるが、埋葬地はヴィテプスク(現ヴィーツェプスク)の精霊修道院[5]、ヴィリニュスの聖母大聖堂(ru)[6]、『ニコン年代記』の記述に従うキエフ・ペチェールシク大修道院[7]など諸説ある。

2018年12月5日、ウクライナ独立正教会により列聖された[8]

[編集]

ヤン・テンゴウスキの説では[9]、夫アルギルダスとの間に以下の子がいる(ラテン文字表記はリトアニア語。ミニガイラ、エカテリーナはロシア語表記に基づく)。

出典

[編集]
  1. ^ Калечиц, И. Л. Исторические личности в граффити Полоцкой Спасо-Преображенской церкви. Музеефикация комплекса настенной живописи ХІІ—ХІХ вв. Спасо-Преображенского храма Евфросиньева монастыря в Полоцке C. 6.
  2. ^ Baronas, Darius "LDK istorija: Algirdo antroji žmona Julijona – savo valandos sulaukusi našlė". Savaitraštis „15min“ 2013.4.7.
  3. ^ Gieysztor, Aleksander (1998). "The Kingdom of Poland and the Grand Duchy of Lithuania, 1370–1506". The New Cambridge Medieval History, c.1415–c.1500. Vol. 7. Cambridge University Press. p. 731.
  4. ^ Kiaupa, Zigmantas; Kiaupienė, Jūratė; Kunevičius, Albinas (2000). The History of Lithuania Before 1795. Vilnius: Lithuanian Institute of History. pp. 127–128.
  5. ^ Свято-Духов женский монастырь Витебская епархия
  6. ^ Narbutt,Teodor. Lietuvių tautos istorija. Vol. 5. Mintis. p427. 2001.
  7. ^ Platonov, Sergey, ed. VIII. Летописный сборник, именуемый Патриаршею или Никоновскою летописью. Complete Collection of Russian Chronicles (in Russian). Vol. 11. p. 127. 1897.
  8. ^ О канонизации святой благоверной великой княгини Иулиании Александровны Тверской и Литовской — МузееМания"
  9. ^ Tęgowski J. Pierwsze pokolenia Giedyminowiczów — Poznań-Wrocław, 1999. — S. 308—311.