コンテンツにスキップ

ウォートン男爵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Anakabot (会話 | 投稿記録) による 2022年7月2日 (土) 06:58個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (Bot作業依頼#Cite bookの更新に伴う修正)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

初代ウォートン侯爵・5代ウォートン男爵トマス・ウォートン

ウォートン男爵英語: Baron Wharton)は、イングランド貴族男爵位。

1545年トマス・ウォートン英語版が叙せられたのに始まる。5代男爵トマス・ウォートンはウォートン侯爵、6代男爵フィリップ・ウォートンはウォートン公爵に叙せられているが、1729年大逆罪で爵位剥奪となった。後世に爵位回復し、女系継承が可能なウォートン男爵位のみウォートン家の女系子孫であるケメイーズ=タイント家、ついでロバートソン家に継承されて現在に至っている。

歴史

初代ウォートン公爵・6代ウォートン男爵フィリップ・ウォートン

1542年ソルウェイ・モスの戦いで活躍したイングランド陸軍軍人トマス・ウォートン英語版(1495頃–1568)1545年1月30日に叙されたのに始まる。後の貴族院の決定でウォートン男爵位は議会招集令状英語版による爵位と認定されているが、実際には勅許状によって創設された爵位だったと考えられている[1][2][3]

4代男爵フィリップ・ウォートン英語版(1613–1696)は厳格なカルヴァン派プロテスタントとしてピューリタン革命の際に議会派として戦った[4]

その息子である5代男爵トマス・ウォートン(1648–1715) もカルヴァン派プロテスタントとしてホイッグ党の政治家となり、ジェイムズ2世のカトリック政策を批判し、名誉革命でオラニエ公ウィレム(ウィリアム3世)を支持した。名誉革命後にはホイッグ党幹部集団「ジャントー」の指導者となった[4]。爵位の面でも出世し、1706年12月23日にはイングランド貴族爵位ウェストモーランド州におけるウォートンのウォートン伯爵(Earl of Wharton, of Wharton in the County of Westmorland)とバッキンガム州におけるウィンチェンドンのウィンチェンドン子爵(Viscount Winchendon, of Winchendon in the County of Buckingham)、1715年2月15日にはグレートブリテン貴族爵位ウェストモーランドのウォートン侯爵(Marquess of Wharton, in the County of Westmorland)とウィルトシャー州におけるマームズベリー侯爵(Marquess of Malmesbury, in the County of Wiltshire)、1715年4月12日にアイルランド貴族爵位キャザーロー侯爵(Marquess of Catherlough)、ダブリン県におけるラスファーナム伯爵(Earl of Rathfarnham, in the County of Dublin)、ミース県におけるトリム男爵(Baron of Trim, in the County of Meath)に叙せられた[5]

その息子である2代ウォートン侯爵フィリップ・ウォートン(1698–1731)は、1718年1月28日にグレートブリテン貴族爵位ウォートン公爵(Duke of Wharton)に叙せられた[6]。しかし彼はジャコバイトとなり、ウォルポール政権に批判的な態度を取り、ついにはスペインへ亡命してスペイン王フェリペ5世の要請で1727年ジブラルタル包囲戦英語版に参加した。この件は本国で問題視され、1729年4月3日貴族院決議により大逆罪で有罪となった。これにより全爵位をはく奪された[7][8]

1世紀後の1845年5月3日に女王座部裁判所の判決により彼の爵位剥奪は取り消された。これに基づき貴族院は議会招集令状による爵位(男子がなく女子のみある場合に姉妹間に優劣がない女系継承が可能。女子が複数あるときは保持者不在(abeyance)となる)と認定したウォートン男爵位について、彼の死後、二人の妹の間で保持者不在(abeyance)になっており、1738年に妹のうち一人が子供なく死去しているのでその時点でもう一人の妹ジェーン英語版が7代ウォートン女男爵位を継承していること、そして彼女が子供なく死去したことで4代男爵の3人の娘の家系の間で保持者不在(abeyance)になっていることを確認した。さらに時代が下って1916年2月15日には保持者不在が解除され、4代男爵の娘メアリーの子孫であるチャールズ・ケミズ=ティント英語版が第8代ウォートン男爵に確定した[2]

8代男爵の唯一の男子であった9代男爵チャールズ・ケミズ=ティント英語版(1908–1969)には子供がなかったため、彼の死後、姉エリザベス英語版(1906–1974)が10代女男爵位を継承した。彼女はデイヴィッド・アーバスノットと結婚し、娘を二人儲けた[2][9]

彼女の死後にウォートン男爵位は娘二人の間で保持者不在となったが、1990年に解除されて長女マートル英語版(1934–2000)が11代女男爵となっている。また彼女はハリー・ロバートソン英語版と結婚してロバートソン姓となった[2][10]

彼女の長男である12代ウォートン男爵マイルズ・ロバートソン(1964-)2016年現在の当主である[11]

一覧

ウォートン男爵 (1545年)

ウォートン侯 (1715年)

ウォートン公 (1718年)

ウォートン男爵 (1545年)

家系図

ウォートン男爵家系図
ウォートン男爵、1545年
 
 
 
初代ウォートン男爵
トマス・ウォートン
英語版

(1495頃–1568)
 
 
 
 
2代ウォートン男爵
トマス・ウォートン
英語版

(1520–1572)
 
 
 
 
3代ウォートン男爵
フィリップ・ウォートン
英語版

(1555–1625)
 
 
 
 
トマス・ウォートン英語版
(1588-1622)
 
 
 
 
4代ウォートン男爵
フィリップ・ウォートン
英語版

(1613–1696)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ウォートン侯爵、1715年
 
 
 
 
 
 
 
 
5代ウォートン男爵
初代ウォートン侯
トマス・ウォートン

(1648–1715)
 
 
 
 
 
メアリー
(1644-1701)
m.3代準男爵
チャールズ・ケメイーズ
英語版
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ウォートン公爵、1718年
 
1845年に爵位回復
1738年に保持者不在解除
 
 
 
 
初代ウォートン公
2代ウォートン侯
6代ウォートン男爵
トマス・ウォートン

(1698–1731)
 
7代ウォートン女男爵
ジェーン・ウォートン
英語版

(1706-1761)
 
ジェーン
(生没年不詳)
m.2代準男爵ジョン・タイント
1729年に全爵位剥奪
 
死去により保持者不在
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ジェーン
(?–1741)
m.ルイシェ・ハッセル
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ジェーン
(?–1825)
m.ジョン・ジョンソン
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
チャールズ
ケメイーズ・タイント
英語版

(1778–1860)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
チャールズ
ケメイーズ・タイント
英語版

(1800–1882)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
チャールズ
ケメイーズ・タイント
(1822–1891)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ホルズウェル
ケメイーズ・タイント
(1852–1899)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1916年保持者不在解除
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
8代ウォートン男爵
チャールズ
ケメイーズ・タイント
英語版

(1876–1934)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
10代ウォートン女男爵
エリザベス
英語版

(1906-1974)
m.デイヴィッド・アーバスノット
 
9代ウォートン男爵
ジョン
ケメイーズ・タイント
英語版

(1908–1969)
 
 
 
 
死去により保持者不在
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1990年保持者不在解除
 
 
 
 
 
 
 
11代ウォートン女男爵
マートル
英語版

(1934–2000)
m.ヘンリー・ロバートソン英語版
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
12代ウォートン男爵
マイルズ・ロバートソン
(1964-)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
メーガン・ロバートソン
(2006-)
推定相続人

脚注

出典

  1. ^ "Wharton, Thomas (1495?-1568)" . Dictionary of National Biography (英語). London: Smith, Elder & Co. 1885–1900.
  2. ^ a b c d Heraldic Media Limited. “Wharton, Baron (E, 1544/5)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年2月17日閲覧。
  3. ^ Lundy, Darryl. “Thomas Wharton, 1st Baron Wharton” (英語). thepeerage.com. 2016年2月17日閲覧。
  4. ^ a b 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 812.
  5. ^ Heraldic Media Limited. “Wharton, Marquess of (GB, 1715 - 1729)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年2月17日閲覧。
  6. ^ Heraldic Media Limited. “Wharton, Duke of (GB, 1717/8 - 1729)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年2月15日閲覧。
  7. ^ Seccombe, Thomas (1899). "Wharton, Philip (1698-1731)" . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 60. London: Smith, Elder & Co. pp. 157–161. {{cite encyclopedia}}: 引数|ref=harvは不正です。 (説明)
  8. ^ Lundy, Darryl. “Philip Wharton, 6th Baron Wharton” (英語). thepeerage.com. 2016年2月15日閲覧。
  9. ^ Lundy, Darryl. “Dorothy Elizabeth Kemeys-Tynte, Baroness Wharton” (英語). thepeerage.com. 2016年2月17日閲覧。
  10. ^ Lundy, Darryl. “Myrtle Olive Felix Arbuthnot, Baroness Wharton” (英語). thepeerage.com. 2016年2月17日閲覧。
  11. ^ Lundy, Darryl. “Myles Christopher David Robertson, 12th Baron Wharton” (英語). thepeerage.com. 2016年2月17日閲覧。

参考文献

関連項目