大阪市電霞町玉造線
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霞町玉造線(かすみちょうたまつくりせん)は、大阪市の霞町停留場 - 玉造停留場間を結んでいた大阪市電の軌道路線である。
路線概要
沿革
- 1918年(大正7年)6月15日:大阪市電の第四期線として、霞町停留場 - 阿倍野橋停留場間(1.0km)開業。
- 1920年(大正9年)8月12日:阿倍野橋停留場 - 東上町仮停留場間(2.7km)が延伸開業。
- 1921年(大正10年)7月6日:東上町仮停留場 - 玉造停車場前停留場間(1.1km)が延伸開業し、全線開業。東上町仮停留場廃止。
- 1926年(大正15年)
- 1930年(昭和5年)から1932年(昭和7年)の間:大道三丁目停留場(初代)を河堀神社前停留場(2代)に改称。[1]
- 1944年(昭和19年)6月1日:戦時体制下の終日急行運転実施のため、天王寺公園南口、南河堀町、河堀神社前、国分町、舟橋町、木野町(このちょう)の各停留場を廃止。
- 1945年(昭和20年)3月13日 - 7月1日:戦災のため、阿倍野橋停留場 - 玉造停留場間を休止。
- 1946年(昭和21年)9月1日:阿倍野橋停留場 - 玉造停留場間を運行再開。
- 1949年(昭和24年)
- 1950年(昭和25年)1月20日:天王寺公園南口停留場が動物園前停留場に改称。
- 1954年(昭和29年)9月5日:舟橋町停留場が復活。
- 1958年(昭和33年)1月15日:桃谷駅前停留場を移設(+0.1km)。
- 1961年(昭和36年)11月1日:阿倍野橋停留場 - 玉造停留場間(3.8km)廃止。トロリーバスに転換。
- 市電としての営業運行はこの日付で廃止となったが、寺田町 - 下味原町間は今里車庫が受け持っていた大阪市電7系統の車両を送り込むための回送線として、同系統(大阪市電百済線区間)の廃止前日である1968年(昭和43年)9月30日まで6年11か月存続した[2]。
駅一覧
停留場名 | キロ程 | 接続路線 |
---|---|---|
霞町停留場 | 0.0 | 大阪市電:霞町線 阪堺電気軌道:阪堺線(南霞町停留場) |
動物園前停留場 | 0.3 | 大阪市営地下鉄:1号線 |
阿倍野橋停留場 | 1.0 | 大阪市電:天王寺阿倍野線 大阪市営地下鉄:1号線(天王寺駅) 日本国有鉄道:関西本線・城東線・阪和線(天王寺駅) 南海電気鉄道:天王寺支線・上町線(天王寺駅) 近畿日本鉄道:近鉄南大阪線(大阪阿部野橋駅) |
南河堀町停留場 | 1.3 | |
寺田町停留場 | 1.9 | 大阪市電:天王寺大道線、百済線 |
国分町停留場 | 2.2 | |
勝山通三丁目駅 | 2.5 | |
桃谷駅前停留場 | 3.0 | 日本国有鉄道:城東線(桃谷駅) |
細工谷町停留場 | 3.4 | |
下味原町停留場 | 3.8 | 大阪市電:上本町下味原町線、鶴橋線 |
舟橋町停留場 | 4.1 | |
真田山停留場 | 4.5 | |
玉造停留場 | 4.8 | 大阪市電:玉造線、玉造今里線、玉造森之宮線 日本国有鉄道:城東線 |
廃駅
- 河堀神社前停留場(南河堀町駅停留場 - 国分町停留場間。霞町起点1.6km):1944年(昭和19年)6月1日廃止。
- 東上町駅(細工谷町停留場 - 下味原町停留場間。霞町起点3.7km):1921年(大正10年)7月6日廃止。
系統
脚注
参考文献
- 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳 - 全線・全駅・全廃線』 10 大阪、新潮社、2009年2月18日。ISBN 978-4-10-790028-9。
- 辰巳博 著、福田静二 編『JTBキャンブックス 大阪市電が走った街 今昔 水の都の路面電車 定点対比』(初版)JTB、2000年12月1日。ISBN 4-533-036511。