宮崎精一
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宮崎 精一(みやざき せいいち。1912年11月24日 - 1996年1月7日 )は、日本の洋画家[1]。
1912年(大正元年)、熊本県人吉市に料亭を経営していた父・宮崎儀太郎の長男として生まれる[2]。1930年(昭和5年)、日本美術学校に入学。1945年(昭和20年)、人吉市に居住していた海老原喜之助に師事した。強い色彩、シャープなフォルムの抽象絵画などを描く。熊本県美術協会や人吉球磨総合美展の創設等に関わり、熊本県の美術界に大きな影響を与えた。独立美術協会会員、1984年(昭和59年)、熊日賞受賞。1988年(昭和63年)、熊本県近代文化功労者。1996年(平成8年)、人吉市の病院で死去。作品は熊本県立美術館などに収蔵されている[3]。
年表
[編集]- 1912年 - 熊本県人吉市に生まれる。
- 1930年 - 日本美術学校入学。
- 1937年 - 第7回独立展入賞。
- 1940年 - 第17回白日展特選。
- 1944年 - 第14回独立展独立賞受賞。須田国太郎に師事。
- 1945年 - 人吉市に居住した海老原喜之助に師事。
- 1946年 - 坂本善三らと熊本県美術協会設立。
- 1948年 - 独立美術協会会員となる。
- 1954年 - 人吉球磨総合美展を創設。
- 1959年 - 渡欧(1年間)。
- 1984年 - 熊日賞受賞。
- 1988年 - 熊本県近代文化功労者。
- 1996年 - 人吉市で死去。
出典
[編集]- ^ 日外アソシエーツ『熊本県人物・人材情報リスト2007』、458頁
- ^ 熊本県教育委員会編『熊本県近代文化功労者 Ⅲ』熊本県教育委員会、1998年、53頁
- ^ 熊本県教育委員会編『熊本県近代文化功労者 Ⅲ』熊本県教育委員会、1998年、51-62頁