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マリア・テレジア・フォン・ネアペル=ジツィーリエン

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マリア・テレジア・
フォン・ネアペル=ジツィーリエン
Maria Theresia von Neapel-Sizilien
神聖ローマ皇后
オーストリア皇后
在位 1792年7月7日1806年8月6日(神聖ローマ皇后)
1804年8月11日1807年4月13日(オーストリア皇后)
戴冠式 1610年5月13日
別称号 ハンガリー王妃
ボヘミア王妃

全名 Maria Theresia Karolina Giuseppina
マリア・テレジア・カロリーナ・ジュゼッピーナ
出生 1772年6月6日
ナポリ王国の旗 ナポリ王国ナポリナポリ王宮
死去 (1807-04-13) 1807年4月13日(34歳没)
オーストリア帝国の旗 オーストリア帝国ウィーンホーフブルク宮殿
埋葬 1807年4月15日
オーストリア帝国の旗 オーストリア帝国ウィーンカプツィーナー納骨堂
結婚 1790年9月19日 ウィーン
配偶者 神聖ローマ皇帝フランツ2世
子女 一覧参照
家名 ブルボン=シチリア家
父親 ナポリ=シチリア王フェルディナンド4世および3世
母親 マリア・カロリーナ・ダズブルゴ
宗教 キリスト教カトリック教会
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マリア・テレジア・フォン・ネアペル=ジツィーリエンMaria Theresia von Neapel-Sizilien, 1772年6月6日 - 1807年4月13日)は、神聖ローマ皇帝フランツ2世の2度目の妃。フランツ2世は1804年以降オーストリア皇帝フランツ1世を名乗り、マリア・テレジアは最後の神聖ローマ皇后および最初のオーストリア皇后となった。ナポリシチリアの王フェルディナンド4世および3世(後の両シチリアフェルディナンド1世)とその王妃マリア・カロリーナの長女。イタリア語名はマリーア・テレーザMaria Teresa)。名前は夫と共通の祖母である「女帝」マリア・テレジアにちなんでいる。

生涯

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1790年に、母方の従兄にあたるフランツ大公と結婚した。同年に妹ルイーザ・マリアがフランツの弟であるトスカーナ大公フェルディナンドと、1797年に弟フランチェスコ1世がフランツの妹マリア・クレメンティーネとそれぞれ結婚している。1792年、フランツの神聖ローマ皇帝即位に伴い皇后となった。

夫フランツとの間に多くの子をもうけたが、1807年に34歳で死去した。フランツはその後さらに2度再婚した。

子女

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フランツ1世(2世)の子供は、夭逝した1女を除き、全てマリア・テレジアとの間に生まれた。

脚注

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