コンテンツにスキップ

秦嘉 (後漢)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。1.36.91.123 (会話) による 2022年5月27日 (金) 04:48個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

秦嘉

秦 嘉(しん か、生没年不詳)は、後漢の詩人。士会

生涯

隴西の出身。桓帝の治世に郡吏となり、後に郡上計簿使となって洛陽に赴いた[1]。妻の徐淑中国語版が病となって実家に帰る時、秦嘉は直接別れを言うことができなかった[2]ため、詩を贈った[3]。洛陽で秦嘉は黄門郎に遷任したが、夫婦は詩を応酬して心を寄せ合った[1]。秦嘉が津郷亭で病死すると徐淑は兄弟によって再嫁することを余儀なくされたが、秦嘉の死を悲しんだ徐淑は自らの顔面を潰して再嫁せず、喪に服して一生を終えたという[4]

秦嘉の『贈婦詩』三首は歴代王朝の人士に愛好され、代に厳可均中国語版が編纂した『全上古三代秦漢三国六朝文』にも収められている。

出典

  1. ^ a b 福山 2013, p. 53
  2. ^ 森田 2001, p. 138
  3. ^ 『西溪叢語』秦嘉徐淑往還詩文
  4. ^ 史通』巻八 人物第三十

参考資料