社会発展国民運動
社会発展国民運動 Mouvement national de la société de développement | |
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議長 | セイニ・ウマル |
成立年月日 | 1989年 |
本部所在地 | ニアメ |
国民議会 |
20 / 171 (12%) |
政治的思想・立場 | 保守、中道右派 |
公式サイト | MNSD-Nassara |
社会発展国民運動(しゃかいはってんこくみんうんどう)は、ニジェールの中道右派政党である。発展社会国民運動という表記も見られる[1][2][3]。
党名
- フランス語ではMouvement national de la société de développementと表記し、MNSDと略す。また、党名の後ろにNassaraと付記する場合もある。
- 英語ではNational Movement for the Development of Societyと表記する。
設立と大統領選敗北
1987年11月、クーデターでアリー・セブ率いる軍事政権「最高軍事評議会」が成立。その中で軍政の支持基盤として、また唯一の合法政党として1989年に成立したのが社会発展国民運動(MNSD)である。1989年12月には民政移管を控えた大統領選挙が行なわれ、MNSDのアリー・セブが当選。最高軍事評議会は廃止され、軍人の政治的影響力が色濃く残ったまま、民政に移管した。しかし複数政党制を求める声が依然強く、1990年11月に複数政党制へ移行した。1991年のMNSD議長(党首に相当)選で元最高軍事評議会議員のタンジャ・ママドゥが、対立候補のムムニ・アダム・ジェルマコワイ元外務国際協力相を破り当選。1993年の大統領選にはママドゥが出馬した。だがその前哨戦となる1993年2月の議会選で、野党6党の政党連合変革勢力同盟がMNSDを大差で破り、次いで3月の大統領選でも民主社会会議(CDS)のマハマヌ・ウスマン党首が当選し、MNSDは敗北した。
議会選勝利とコアビタシオン
1度は下野したMNSDだが、1995年1月に行なわれた議会選では、対立していたニジェール民主社会主義党(PNDS)と野党連合を結成し、勝利を収めた。首相にはMNSDのハマ・アマドゥ書記長が就任し、反MNSDのウスマン大統領とMNSDのアマドゥ首相によるコアビタシオンが成立した。この中で両者は激しく対立し、政局の混乱と不安定化を招いた。1996年1月にはイブライム・バレ・マイナサラ陸軍参謀長の率いるクーデターにより、軍政が復活。ウスマン大統領とアマドゥ首相はともに解任され、MNSDを含む政党活動は厳しく制限された。1996年7月に行なわれた大統領選挙で、MNSDはママドゥを擁立したが、結果は第3位だった(当選はマイナサラ、第2位はウスマン)。この結果を不服とし、MNSDは同年11月の議会選をボイコットした。
3度目の大統領選、ママドゥの勝利
1999年4月には再びクーデターが発生し、マイナサラ大統領が殺害され、ダオダ・マラム・ワンケ率いる軍事政権「国家和解評議会」が成立、議会は解散され憲法も停止となった。同年10月に大統領選挙が行なわれ、ママドゥが当選し、6年ぶりにMNSD出身の大統領が誕生した。ママドゥにとっては、3度目の大統領選挙にしてようやく勝ち取った勝利だった。2位は既にMNSDとの連合を解消していたPNDSのマハマドゥ・イスフ元首相であった。また同年の議会選でもMNSDは旧反対勢力CDSと連立し、議会多数派を形成した。これに伴い、アマドゥが首相の座に返り咲いた。
大統領選挙での当選により、ママドゥはMNSD議長の座を離れ、ハミドゥ・セク暫定議長を経て、2001年12月にはアマドゥ首相(元MNSD書記長)がMNSD議長に就任した。2004年11月から12月にかけて行なわれた大統領選(2004年ニジェール大統領選挙)では、ママドゥが再選され、PNSDのイスフ元首相を再び破った。だが同時期に行なわれた議会選では、MNSDは第1党の座を守ったものの、113議席中47議席を獲得するに留まり、CDSとの連立で辛うじて過半数を維持することとなった。
内閣不信任、アマドゥの退陣
2007年5月31日、野党勢力が、教育基金の資金をアマドゥ首相が横領したという主張を行い、野党勢力はもちろん、連立相手のCDSからも非難され、内閣不信任決議案が可決された。アマドゥは首相職を辞し、ママドゥは後任首相に同じくMNSD党員であるセイニ・ウマルを任命した。ウマルはアマドゥ内閣で序列第3位の設備担当相を務めていた。そして2008年11月、党議長職がアマドゥからウマルへと移った。
ウマルは2009年10月20日に予定されている議会選に出馬するため、同年9月23日に辞職。正式な後任首相は即座には任命されず、アルバーデ・アブーバ内相兼MNSD書記長が首相代行を務めることとなったが、第二次アマドゥ内閣で財務相を務めたアリー・バジョ・ガマティエ(MNSD党員)が10月2日に正式な後任首相に就任した。
脚注
参考文献
- JOGMEC (2005年10月7日). “平成16年度資源開発環境調査 ニジェール共和国”. 2015年9月21日閲覧。
- “平成24年度 課題別研修「研究成果と現場の知見を生かした教育の質的向上のための政策分析能力開発」実施要領” (2012年9月). 2015年9月21日閲覧。
- 外務省. “ニジェール基礎データ”. 2015年9月21日閲覧。