コンテンツにスキップ

2002年沖縄県知事選挙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Anakabot (会話 | 投稿記録) による 2022年5月2日 (月) 12:27個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (Bot作業依頼#「自由連合 (政党)」の改名に伴うリンク修正依頼)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

2002年沖縄県知事選挙
沖縄県
1998年 ←
2002年11月17日 (2002-11-17)
→ 2006年

投票率 57.22%
 
候補者 稲嶺惠一 吉元政矩
政党 無所属 無所属
同盟 自由民主党(推薦)
公明党(推薦)
保守党(推薦)
[[社会民主党(推薦)
社会大衆党(推薦)
自由連合(推薦)]]
得票数 359,604 148,401
得票率 64.38% 26.57%

選挙前知事

稲嶺惠一
無所属

選出知事

稲嶺惠一
無所属

2002年沖縄県知事選挙(2002ねんおきなわけんちじせんきょ)は、沖縄県の執行機関である沖縄県知事を選出するため、2002年11月17日に投票が行われた選挙である。

概要

知事の任期4年が満了したことに伴って実施された選挙である。なお県知事選挙と同時に沖縄県議会国頭郡区の補欠選挙(1名)も実施された[1]

選挙は、現職の稲嶺惠一と元副知事吉元政矩共産党推薦の新垣繁信による事実上の三つ巴の選挙戦となった。共産党が独自の推薦候補を擁立したことで、1968年の琉球政府主席公選以来続いてきた「革新共闘」が崩れた。在日米軍普天間基地移設の是非や、高い失業率の改善など経済振興策を争点に争われた選挙の結果、現職の稲嶺が再選を果たした。

普天間基地移設を巡る主要候補の立場

普天間基地移設問題では、稲嶺が名護市に建設される予定の代替飛行場の米軍使用期限を15年に限定することを主張、対する吉元は米軍岩国飛行場への移設を提案、新垣は無条件返還をそれぞれ主張した。

選挙日程及び有権者数

  • 告示:2002年10月31日 
  • 投票日:2002年11月17日 
  • 投票日当日の有権者数[2]:987,030名
男性:480,798名
女性:506,232名

候補者

立候補者は以下の4名である。

立候補者一覧(届け出順)[3]
候補者名 年齢 所属党派 新旧 推薦・支持党派 前職
新垣繁信   60 無所属 新人 推薦:日本共産党  沖縄県医療生活協同組合理事長
稲嶺惠一  69 無所属 現職 推薦:自由民主党公明党保守党  沖縄県知事
吉元政矩  65 無所属 新人 推薦:社会民主党沖縄社会大衆党自由連合  元沖縄県副知事
又吉光雄   58 諸派 新人

選挙結果

現職の稲嶺が、吉元と新垣を大差で下して再選を果たした。投票率は57.22%で過去最低となった。

男性:55.59%(267,292名)
女性:58.76%(297,459名)
候補者得票数[4]
当落 候補者名 所属党派 新旧 得票数 得票率
当選   稲嶺惠一   無所属  現職  359,604  64.38%
吉元政矩  無所属 新人 148,401 26.57%
新垣繁信  無所属 新人 46,230 8.38%
又吉光雄  諸派 新人 4,330 0.67%
合計 558,565

稲嶺は現職としての知名度と強み、自民・公明の盤石な選挙協力で選挙戦を終始優位に進め、全県的に支持を結びつけることに成功したことが勝利の要因となった。一方、敗れた吉元と新垣は、出馬が9月と出遅れたことと候補者選定段階における革新系分裂が原因で、大敗した[5]

出典

  1. ^ 県議補選国頭郡区、3氏が届け出 - 2002年11月8日琉球新報(2011年1月9日閲覧)
  2. ^ a b 沖縄県知事選挙 投票結果(平成14年11月17日執行)xlsファイル) - 沖縄県選挙管理委員会(2011年1月9日閲覧)
  3. ^ 沖縄県知事選挙告示、新垣、稲嶺、吉元氏ら届け出 - 2002年10月31日琉球新報(2011年1月9日閲覧)
  4. ^ 沖縄県知事選挙 開票結果(平成14年11月17日執行)xlsファイル) - 沖縄県選挙管理委員会(2011年1月9日閲覧)
  5. ^ 県知事選、稲嶺氏が再選/投票率は過去最低の57.22% - 2002年11月17日琉球新報(2011年1月9日閲覧)