元長町
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元長町 | |
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旧第五十九銀行本店本館(青森銀行記念館) | |
北緯40度36分8.31秒 東経140度28分4.66秒 / 北緯40.6023083度 東経140.4679611度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 青森県 |
市町村 | 弘前市 |
人口 | |
• 合計 | 26人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
036-8198 |
市外局番 | 0172[2] |
ナンバープレート | 弘前 |
元長町(もとながまち)は、江戸期から現在にかけての青森県弘前市の大字。2017年6月1日現在の人口は26人、世帯数は15世帯[1]。郵便番号は036-8198。
地理
町域の西部から北部にかけて下白銀町、北東部は元寺町、東部は親方町、東部から南部にかけて本町、西は元大工町に接する。
歴史
- 正保3年 - 町屋とだけあり、まだ町名はないが、町域は現在と違って、現在の元大工町から下白銀町の弘前城東門まで南北に伸びていた(津軽弘前城之絵図)。
- 慶安2年 - 南側を上長町、北側を下長町と呼び、屋号を持つ商家が約20軒のほか豆腐屋・居鯖などの商人、金掘り・銀屋などの職人が住んでいた(弘前古城絵図)。
- 寛文13年 - 長町とある(弘前中惣屋敷絵図)。
- 元禄年間 - 北側の下長町に、郭内武家屋敷の郭外移転により中上級の武家屋敷が町割りされ、上・下長町の町域はほとんど消滅し、残った町域が元長町と呼ばれる。
- 享保4年 - 町内東側が町屋、西側が武家屋敷で構成される(町屋数円)。
- 寛政12年 - 元長町として武家屋敷5・町屋24(分間弘前大絵図)。
- 天保8年 - 再び、町内東側が町屋、西側が武家屋敷で構成される(弘前絵図)。
- 嘉永5年 - 東北地方を旅行中の吉田松陰が、国事について論議するため、当地の伊東広之進宅を訪問。現在の養生幼稚園に"松陰室"として論議した部屋が残っている。
沿革
地名の由来
かつて町域が南北に伸びていたことから。
施設
教育
- 養生幼稚園
医療
- 伊東内科・小児科
商業
- 東北電業
宿泊
- 旅館江戸川
観光
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
大字 | 番・番地 | 小学校 | 中学校 |
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元長町 | 全域 | 弘前市立朝陽小学校 | 弘前市立第四中学校 |
交通
- 弘南バス
- 本町(土手町循環100円バス、他)停留所。
- 青森銀行前(弘前駅 - 金属団地・桜ヶ丘線、他)停留所。
脚注
- ^ a b “オープンデータひろさき 弘前市 町名別人口・世帯数_平成29年”. ひろさき未来戦略研究センター (2017年6月1日). 2017年6月18日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
参考文献
- 角川日本地名大辞典 2 青森県(角川書店)
下白銀町 | 元寺町 | |||
元大工町 | 親方町 | |||
元長町 | ||||
本町 |