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オットー・ペンツィヒ

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アルベルト・ユリウス・オットー・ペンツィヒ(Albert Julius Otto Penzig、イタリアでは Albertus Giulio Ottone Penzig、1856年3月25日 - 1929年3月6日)は、ドイツ生まれで、イタリア帰化した植物学者、菌類学者である。

生涯

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現在のポーランドザニエニツェドイツ語名:ザーミッツ)に生まれた。ブラスロー大学で学んだ。健康を害し、避寒地の地中海岸に移った。健康を回復した後も、イタリアに残り、パヴィア大学パドヴァ大学で研究し、菌類学者のピエール・アンドレア・サッカルドの助手を務めた。1882年にイタリアに帰化し、モデナ大学の私講師、モデナの農業試験場の所長などを務め、1887年にジェノア大学の教授となった。長期にわたって、植物雑誌"Malpighia. Rassegna mensuale di botanica"(「マルピギア、月刊植物学レビュー」)を編集し、友人の園芸家、トーマス・ハンブリー(Thomas Hanbury)とエチオピアインドネシアセイロン島を研究旅行した。

子嚢菌門の菌類の属名、Penzigiaや、蘚類の属名、Penzigiellaに献名されている。

著作

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  • Pflanzen-Teratologie systematisch geordnet, 2 Bde., Genua 1890–1894; 3 Bde., Berlin 1921–1922
  • Flora popolare italiana. Raccolta die nomi dialettali delle principali piante indigine e coltivati in Italia, 2 Bände Genua 1924 (541+615 Seiten, Bd. 1: wissenschaftlich-volkssprachlich; Bd. 2: volkssprachlich-wissenschaftlich)

参考文献

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  • A. Béguinot, „Otto Penzig“, in: Berichte der Deutschen Botanischen Gesellschaft 47, 12, Mai 1929, S. 96–102
  • Lothar Voetz, 133. Wörterbücher von Tier- und Pflanzenbezeichnungen, in: Wörterbücher. Dictionaries. Dictionnaires. Ein internationales Handbuch zur Lexikographie. Zweiter Teilband, hrsg. von Franz Josef Hausmann, Oskar Reichmann, Herbert Ernst Wiegand und Ladislav Zgusta, Berlin. New York 1990, S. 1254–1258