高倉永季
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時代 | 南北朝時代 |
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生誕 | 暦応元年/延元3年(1338年) |
死没 | 明徳3年2月18日(1392年3月12日) |
官位 | 従二位、参議 |
主君 | 後光厳天皇→後円融天皇→後小松天皇 |
氏族 | 藤原北家長良流 |
父母 | 父:冷泉範賢 |
兄弟 | 範康、永季、範子 |
妻 | 藤原光綱の娘 |
子 | 永行、永俊、玄永、女子、女子 |
特記 事項 | 高倉家の祖 |
高倉 永季(たかくら ながすえ)は、南北朝時代の公家。正三位・冷泉永経の玄孫。長門守・冷泉範賢の次男。官位は従二位・参議。半家・高倉家の祖。
経歴
北朝にて蔵人・中務大輔・弾正大弼を歴任。有職故実に通じ、特に家職の衣紋道を受け継いで衣紋の調進を掌って、山科家と双璧をなした。衣紋道における功労により永和4年(1378年)従三位に叙せられ公卿に列した[1]。
のち、宮内卿・兵部卿を務める一方で、永徳3年(1383年)正三位、至徳4年(1387年)従二位と昇進している。
明徳3年(1392年)2月参議に任ぜられ、長良流としては中納言・藤原文範以来約400年ぶりに議政官となった。同年2月8日に出家、最終官位は参議従二位。2月18日薨去。享年55。
官歴
『諸家伝』による。
- 時期不詳:蔵人。中務大輔。左京大夫[2]。弾正大弼
- 永和4年(1378年) 5月2日:従三位
- 永徳元年(1381年) 12月24日:宮内卿
- 永徳3年(1383年) 正月5日:正三位
- 永徳4年(1384年) 3月23日:兵部卿
- 至徳4年(1387年) 正月6日:従二位
- 明徳3年(1392年) 2月5日:参議。2月8日:出家(参議従二位)。2月18日:薨去
系譜
『尊卑分脈』による。
脚注
参考文献
- 『世界大百科事典 第2版』平凡社、2005年