サン=ジャン=ド=モーリエンヌ
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Saint-Jean-de-Maurienne | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏 |
県 (département) | サヴォワ県 |
郡 (arrondissement) | サン=ジャン=ド=モーリエンヌ郡 |
小郡 (canton) | 小郡庁所在地 |
INSEEコード | 73248 |
郵便番号 | 73300 |
市長(任期) |
ピエール=マリー・シャルヴォズ (2008年-2014年) |
自治体間連合 (fr) | Communauté de communes Cœur de Maurienne |
人口動態 | |
人口 |
9,186人 (2006年) |
人口密度 | 798人/km2 |
住民の呼称 |
Saint-Jeannais Saint-Jeannaises |
地理 | |
座標 | 北緯45度16分22秒 東経6度20分54秒 / 北緯45.272889度 東経6.348444度座標: 北緯45度16分22秒 東経6度20分54秒 / 北緯45.272889度 東経6.348444度 |
標高 |
平均:m 最低:489 m 最高:1200 m |
面積 | 11,51km2 (1 151ha) |
公式サイト | Saintjeandemaurienne.fr |
サン=ジャン=ド=モーリエンヌ (Saint-Jean-de-Maurienne)は、フランス、オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏、サヴォワ県のコミューン。
地理
[編集]サン=ジャン=ド=モーリエンヌは、アルヴ谷に源を発するアルヴァン川が、モーリエンヌ谷をかたどるボウ川と合流する地点にある。
峠の登り口としても有名であり、南西側にクロワ・ド・フェール峠、南東側にガリビエ峠が存在する。
歴史
[編集]サン=ジャン=ド=モーリエンヌは、6世紀以降モーリエンヌ谷の中心地であった。聖テクルがアレクサンドリアから、洗礼者ヨハネのものとされる聖遺物(3本の指)をもたらした(現在、コミューンの紋章にも描かれている)。同様に、刃物メーカー・オピネルのロゴも、この3本の指を表している。町はクローヴィス1世の息子グントラムによって、司教座の町の列に加えられた。
753年、カール・マルテルの子グリフォンが、異母兄ピピン3世最大の敵であるロンゴバルド族の王アイストルフ(fr)と合流するためイタリアを訪れようとしたが、ピピンの手の者によってサン=ジャン=ド=モーリエンヌで殺害された。
10世紀後半にモーリエンヌで生まれたウンベルト1世ビアンカマーノは、サヴォワ伯の称号を得、サヴォイア家の始祖となった(その末裔はサヴォイア公国・サルデーニャ王国・イタリア王国の君主となる)。1048年(1047年説もある)に没したウンベルト1世は、サン=ジャン=ド=モーリエンヌのカテドラルに葬られている。
姉妹都市
[編集]出身者
[編集]- ピエール・バルマン - ファッションデザイナー
- ジャン=バティスト・グランジュ - アルペン・スキー選手