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フラン=ラミ

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フラン=ラミ
Franc-Lamy
ナダールの肖像写真
生誕 Pierre Désiré Eugène Franc Lamy
(1855-05-12) 1855年5月12日
フランスの旗 フランス帝国 クレルモン=フェラン
死没 (1919-03-13) 1919年3月13日(63歳没)
フランスの旗 フランス共和国 パリ
国籍 フランスの旗 フランス
教育 ジャン=レオン・ジェロームイジドール・ピルス
著名な実績 絵画エングレービング
受賞 レジオンドヌール勲章(オフィシエ)
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フラン=ラミFranc-Lamy、本名:Pierre Désiré Eugène Franc Lamy1855年5月12日 - 1919年3月13日)はフランスの画家である。

略歴

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ピュイ=ド=ドーム県クレルモン=フェランのステンドグラス職人の家に生まれた。地元の美術学校で学び1873年からパリのエコール・デ・ボザールで、イジドール・ピルスに学んだ。同時期の学生にはノルベール・グヌットやフレデリック・コルデーがいる。1875年にピルスが亡くなった後、アンリ・レーマンジャン=レオン・ジェロームに学んだ。

パリではリーヴ・ドロワト(Rive Droite:セーヌ川右岸の地域)に住み、印象派の画家たちや文学者が集まっていたカフェ・ド・ラ・ヌーヴェル・アテーヌやカフェ・ド・ラーモール(Café du Rat Mort)をしばしば訪れ、レオン・ディエリクス、オーギュスト・ヴィリエ・ド・リラダン、モーリス・ロリナ、ステファヌ・マラルメといった文学者たちのサークルにも参加した[1]

音楽家のエルネスト・カバネルフランス語版を通して、パリで有名な文芸サークルのホステスであったニーナ・ド・カリヤスに紹介され、しばらく愛人であったこともあった。画家のピエール=オーギュスト・ルノワール(1841-1919)の友人であり、しばしばルノワールの絵のモデルになった。例えば『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』に描かれている。

1877年の第3回印象派展に、ルノワールに招かれ出展した。初期の作品は印象派の影響を受けていた。1880年からサロン・ド・パリに毎年出展するようになった。ヴェネツィアブルージュへを旅して描いた風景画や、女性人物画を描いた。

1892年に、レジオンドヌール勲章(シュバリエ)を受勲し、1914年にレジオンドヌール勲章(オフィシエ)を受勲した 。

作品

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脚注

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  1. ^ Georges Rivière,Renoir et ses Amis, Paris, Henri Floury, 1921, Template:Pages.

参考文献

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  • Franc-Lamy. In: Hans Vollmer (Hrsg.): Allgemeines Lexikon der Bildenden Künstler von der Antike bis zur Gegenwart. Begründet von Ulrich Thieme und Felix Becker. Band 22: Krügner–Leitch. E. A. Seemann, Leipzig 1928, S. 279.