富永村 (宮城県)
表示
とみながむら 富永村 | |
---|---|
廃止日 | 1950年12月16日 |
廃止理由 |
編入合併 富永村、東大崎村、長岡村 → 古川市 |
現在の自治体 | 大崎市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 東北地方 |
都道府県 | 宮城県 |
郡 | 遠田郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 10.0 km2 |
総人口 |
3,436人 (『宮城県町村合併誌』、1950年12月15日) |
隣接自治体 |
遠田郡:田尻町、中埣村、北浦村 栗原郡:長岡村 古川市 |
富永村役場 | |
所在地 | 宮城県遠田郡富永村 |
座標 | 北緯38度35分37秒 東経140度59分12秒 / 北緯38.59367度 東経140.98672度座標: 北緯38度35分37秒 東経140度59分12秒 / 北緯38.59367度 東経140.98672度 |
ウィキプロジェクト |
富永村(とみながむら)は、昭和25年(1950年)まで宮城県遠田郡の北西部にあった村。現在の大崎市古川富長・古川上埣・古川狐塚・古川長岡針・古川淵尻・古川馬放・古川休塚にあたる。
村の概要
[編集]土地
[編集]戸口
[編集]生産額
[編集]- 米220915円[2]
- 小麦3835円[2]
- 大麦5035円[2]
- 大豆5760円[2]
- 繭26250円[2]
- 畜産4790円[2]
- 藁工品3150円[2]
- 他4500円[2]
- 合計274235円[2]
- 農家1戸当831円[2]
沿革
[編集]- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行にともない、富長村・上埣村・狐塚村・長岡針村・淵尻村・馬放村・休塚村の計7か村が合併して富永村が発足。
- 昭和5年(1930年)4月1日 - 上埣の一部(長瀬東・地蔵堂・地蔵前・地蔵東・中嶋・青沼の各字)を志田郡荒雄村に移管。
- 昭和25年(1950年)12月16日 - 玉造郡東大崎村・栗原郡長岡村と共に古川市に編入。
行政
[編集]- 歴代村長
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 南条善右ェ門 | 明治22年(1889年)4月22日 | 明治32年(1899年)8月10日 | |
2 | 千葉八七蔵 | 明治32年(1899年)11月21日 | 明治36年(1903年)11月20日 | |
3 | 今野文之助 | 明治37年(1904年)1月11日 | 明治41年(1908年)1月10日 | |
4 | 千葉八七蔵 | 明治41年(1908年)2月21日 | 大正5年(1916年)4月22日 | 再任 |
5 | 和久岱治 | 大正5年(1916年)4月30日 | 大正5年(1916年)10月31日 | |
6 | 今野栄太郎 | 大正6年(1917年)1月9日 | 大正8年(1919年)8月9日 | |
7 | 南条正亮 | 大正8年(1919年)8月21日 | 大正11年(1922年)2月29日 | |
8 | 小野寺徳治 | 大正11年(1922年)4月5日 | 大正15年(1926年)4月4日 | |
9 | 佐々木潔三郎 | 昭和2年(1927年)2月22日 | 昭和4年(1929年)1月21日 | |
10 | 鈴木久吉 | 昭和4年(1929年)3月26日 | 昭和21年(1946年)10月25日 | |
11 | 和久正志 | 昭和22年(1947年)4月5日 | 昭和25年(1950年)12月15日 |
出身人物
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『宮城県町村合併誌』(宮城県地方課、1958)