モレオン (ドゥー=セーヴル県)
Mauléon | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏 |
県 (département) | ドゥー=セーヴル県 |
郡 (arrondissement) | ブレシュイール郡 |
小郡 (canton) | モレオン小郡 |
INSEEコード | 79079 |
郵便番号 | 79700 |
市長(任期) |
ピエール=イヴ・マロロー (2014年 - 2020年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté d'agglomération du Bocage bressuirais |
人口動態 | |
人口 |
8414人 (2013年) |
人口密度 | 70人/km2 |
地理 | |
座標 | 北緯46度55分25秒 西経0度44分54秒 / 北緯46.9236度 西経0.748333333333度座標: 北緯46度55分25秒 西経0度44分54秒 / 北緯46.9236度 西経0.748333333333度 |
標高 |
平均:m 最低:104m 最高:226 m |
面積 | km2 |
モレオン (Mauléon)は、フランス、ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏、ドゥー=セーヴル県のコミューン。
地理
[編集]モレオンは国道249号線途上に位置し、ショレとブレシュイールから20分の距離である。ドゥー=セーヴル県最北西部のコミューンであり、メーヌ=エ=ロワール県およびヴァンデ県と境界を接している。
歴史
[編集]モレオンは、ウアン川谷に囲まれた岩の露頭の上にある。そこはガイヤール山と向かい合っており、モレオンのサン・ジュアン地区にあたる。
1080年、トリニテ修道院の古い勅許状にモレオンの名が現れる。
モレオンは同名のモレオン家の本拠地だった。モレオン家で最も知られるのはサヴァリー1世(fr)である。彼はポワトゥーのセネシャルであり、トルバドゥール、詩人、コルセア、そして町の貸借人であった。特筆すべきは、1205年に彼がジョン欠地王のためニオールを攻略したことである。
13世紀、モレオンはトゥアール子爵領に属しており、その後15世紀にはアンボワーズ家、そしてその相続人であるラ・トレモイユ家が所有した。
戦略的な位置にあったモレオンは、ユグノー戦争で激しく争われた。1587年、アンリ・ド・ナヴァールはモレオンを攻略した。その後町は2度、カトリック派、そしてユグノー派に占領された。1642年、城はリシュリューの命令で解体された。
1716年、ラ・トレモイユ子爵はモレオン男爵領をフロスリエール公爵ジル・ド・グランジュに売却した。20年後、男爵領は再びアレクシス・ド・シャティヨン(ルイ15世の王太子の軍司令官)に売却された。彼は宮廷での自らの影響力を利用し、モレオンに自分の名を与え、公爵としての称号にちなみシャティヨン=シュル=セーヴル(Châtillon-sur-Sèvre)とした。セーヴルとは、町から8kmしか離れていないセーヴル・ナンテーズ川にちなんでいる。
1793年、シャティヨン=シュル=セーヴルは武装ヴァンデ(fr)の首都となり、ヴァンデ戦争の間1796年までその状態だった。
1965年2月15日、サン・ジュアン・スー・シャティヨン(Saint-Jouin-sous-Châtillon)およびシャティヨン=シュル=セーヴルが合併し、モレオンという古い地名のもとで単一のコミューンとなった。1973年1月1日より、サンタマン・シュル・セーヴル、ラ・シャペル・ラルジョー、ルブランド、ムラン、ロルテ、サントーバン・ド・ボービニェ、ル・タンプルがモレオンと合併した。サンタマン・シュル・セーヴルは1992年1月1日よりモレオンから分離し、再びコミューンとなっている[1]。
人口統計
[編集]1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2007年 | 2009年 |
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2660 | 8196 | 8445 | 8779 | 7326 | 7885 | 8093 |
参照元:1968年から1999年までは複数コミューンに住所登録をする者の重複分を除いたもの。2006年以降は当該コミューンの人口統計によるもの。1990年までEHESS/Cassini[2]、以降INSEE[3][4]。
史跡
[編集]- サント・トリニテ修道院 - 11世紀終わりに設立され聖アウグスティヌス戒律(fr)を採用する修道院は、瞬く間にこの地方の主要な宗教中心地となった。1540年まで修道士たちが定住していた。16世紀の宗教戦争で衰退は決定的となり、16世紀後半には数回略奪された。フランス革命後には廃墟となり、18世紀のヴァンデ戦争を逃れることはできなかった。
- サント・トリニテ教会 - 12世紀設立。16世紀の宗教戦争で廃墟となり、ヴァンデ戦争では火を放たれた。1793年にモーリス・ジゴ・デルベはサント・トリニテ教会内で反乱軍の総司令官に選出されている。19世紀に再建された。
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ラ・デュルブリエール城の廃墟
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サントーバン・ド・ボービニェの教会
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サン・ジュアン教会
姉妹都市
[編集]- キルケル、ドイツ
出身者
[編集]- アンリ・ド・ラ・ロシュジャクラン - サントーバン・ド・ボービニェにあるラ・デュルブリエール城で誕生。
脚注
[編集]- ^ Code officiel géographique - Fiche de la commune de Mauléon sur le site de l'INSEE, consulté le 30 novembre 2010.
- ^ http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=8838
- ^ http://www.statistiques-locales.insee.fr
- ^ http://www.insee.fr