ミロシュ・サードロ
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ミロシュ・サードロ | |
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出生名 | ミロスラフ・ザートヴルスキー |
生誕 | 1912年4月13日 |
出身地 | チェコ プラハ |
死没 | 2003年10月14日(91歳没) |
学歴 | プラハ音楽院 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | チェリスト |
担当楽器 | チェロ |
ミロシュ・サードロ(チェコ語: Miloš Sádlo, 1912年4月13日 - 2003年10月14日[1])はチェコ出身のチェリスト。本名は「ミロスラフ・ザートヴルスキー」(チェコ語: Miloslav Zátvrzský)
経歴
1912年、プラハ生まれ。1928年にプラハ音楽院でカレル・プラヴォスラフ・ザードロに師事し、師の名前を芸名にすることを許される。
1931年にはプラハ四重奏団のチェロ奏者になり、ヴィオラ奏者のラディスラフ・チェルニーから室内楽の極意を教わったが、1933年に四重奏団は解散した。
1937年にはヤン・クベリークの代わりにロンドンで公演を行って成功を収め、世界的な名声を獲得した。
1947年のプラハの春音楽祭ではドミートリイ・ショスタコーヴィチと共演し、1950年にはダヴィッド・オイストラフとヨハネス・ブラームスの二重協奏曲を共演している。
1961年にプラハで発見されたフランツ・ヨーゼフ・ハイドンのチェロ協奏曲第1番を1962年に蘇演している。
2003年、プラハにて没。