ルイ・ブレリオ
ルイ・シャルル=ジョゼフ・ブレリオ(Louis Charles-Joseph Blériot, 1872年7月1日 - 1936年8月2日)はフランス航空界の先駆者。
人物と業績
[編集]エコール・サントラル・パリ工学科卒。
1900年頃から航空機の実現に没頭し、鳥を摸した「はばたき機」を自作したが、飛行するには至らなかった。ライト兄弟が初飛行に成功した1903年、自動車用前照灯の製造で得た利益を基に、ガブリエル・ヴォアザンと共同でブレリオ・ヴォアザンを設立し、アントワネット製エンジン搭載の複葉機などを製作した。
1906年、ロンドンの新興紙デイリー・メールが宣伝目的でドーバー海峡横断飛行に賞金1,000ポンドを掛けたことから、達成競争に参戦するためヴォアザンと袂を頒ち、自ら再び設計・製作を手掛け始めた。
多様な形式の機体(箱型複葉機・推進式単葉機・タンデム翼機など)で試行錯誤し、中でもブレリオ Vは世界初の実用単葉機であったが、翌1907年に事故で失われた。
1909年7月25日早朝、レイモン・ソルニエ(Raymond Saulnier)設計のブレリオ XIを駆ってカレー市郊外からドーバー城まで所要時間36分55秒で初横断に成功。ユベール・ラタム、シャルル・ド・ランベールとの先着競争を征し、巨額の賞金と国際的栄誉を手にした。
その偉業を記念して、ブレリオはレジオンドヌール勲章を与えられ、出発地はブレリオ海岸(Blériot-Plage)と命名された。
ブレリオ XIにはレプリカの注文が殺到し、工房は繁忙を極めた。1914年には、創業者の摘発で混乱状態に陥っていたSPADの経営権を取得、第一次世界大戦では軍用機の最大手量産メーカーに成長させた。
1921年には自身の名を冠したブレリオ・アエロノティック(フランス語: Bleriot-Aeronautique)を設立してSPADを子会社化し、民間機事業にも進出して成功した。
参考文献
[編集]関連項目
[編集]- アルベルト・サントス・デュモン
- ブレリオ III
- ブレリオ XI
- ブレリオ 5190
- ブレリオ 110
- ブレリオ 115
- 格納庫 - ハンガーの語源はブレリオが家畜小屋製造会社に格納庫を注文したことが由来。
外部リンク
[編集]- Those Magnificent Men In Their Frying Machines - ウェイバックマシン(1999年10月6日アーカイブ分)
- 100年前のフランスの出来事