湯福神社
表示
湯福神社 | |
---|---|
所在地 | 長野県長野市箱清水三丁目1番2号 |
位置 | 北緯36度39分47.3秒 東経138度11分5.9秒 / 北緯36.663139度 東経138.184972度座標: 北緯36度39分47.3秒 東経138度11分5.9秒 / 北緯36.663139度 東経138.184972度 |
主祭神 | 健御名方命 |
社格等 | 郷社 |
本殿の様式 | 流造 |
例祭 | 10月9日・10日 |
湯福神社(ゆぶくじんじゃ)は、長野県長野市箱清水三丁目にある神社(郷社)。
善光寺三鎮守(善光寺三社)・善光寺七社の一。
概要
[編集]善光寺本堂の北西に位置する。諏訪大社と同じく建御名方神を祀っており、同じ祭神を祀る周辺の武井神社・妻科神社・健御名方富命彦神別神社(城山県社水内大社)の4社持ち回りで寅年・申年に御柱祭を行なっており、境内には御柱が立っている。神紋も諏訪大社と同じ梶の葉で、当社に近い長野県長野西高等学校はこれに基づき「梶の葉抱く弦月」を校章としている[1]。
善光寺三鎮守の一つで、境内には善光寺開祖・本田善光廟がある。中には本田善光の墓とされる大石が収められている。社叢の大半はケヤキで、本殿前には参道を挟んで大木が対にそびえる。この2本と、境内西側の1本が長野市指定天然記念物となっている。樹高17〜21m・樹齢700〜900年と推定される古木である[2]。
善光寺表参道の東側を氏子とする武井神社に対し、当社は西側15町を氏子とする[3]。社名は「風(いぶき)」から転訛したものという[4]。
歴史
[編集]- 1847年(弘化4年) - 善光寺地震により社殿崩壊。
- 1862年(文久2年) - 現在の本殿・拝殿が完成。
- 1921年(大正10年)10月 - 御宝塚(境内の大石)の下から人骨が出土し、本田善光の墓であると推定される。
- 1967年(昭和42年)11月1日 - 境内のケヤキ3本が長野市指定天然記念物に指定される。
- 2007年(平成19年) - 本田善光廟完成。御宝塚を収める。
境内
[編集]- 本殿
- 拝殿
- 社務所
- 本田善光廟
交通
[編集]周辺
[編集]- 善光寺
- 長野県長野西高等学校
- 千鳥ヶ池
- 城山公園
脚注
[編集]- ^ 学校概要 - 長野県長野西高等学校
- ^ 湯福神社のケヤキ Keyaki tree at the Yubuku shrine - 長野市教育委員会文化財課
- ^ 074 武井神社(上) 〜有力者ら寄進し神殿新築 - 週刊長野
- ^ 湯福神社 - 全国善光寺会
参考文献
[編集]- 『信州の文化シリーズ 寺と神社』1981年 信濃毎日新聞社
関連項目
[編集]- 善光寺七社
- ※印は善光寺三鎮守(三社)