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アウグスト・セスペデス

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アウグスト・セスペデス・パッツィ(Augusto Céspedes Patzi、1904年 - 1997年)はボリビアジャーナリスト作家政治家である。ニックネームは『チュエコ』。

略歴

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パブロ・セスペデスとアドリアーナ・パッツィ・イトゥリの息子。幼児期から青春時代はコチャバンバに住んでおり、スクレの国立高校を卒業した。詩人、マン・セスペッドの甥で、初めての仕事はアデラ・サムディオスペイン語版と共に『アートや仕事』という雑誌に係わった。

ラパスのサン・アンドレス大学で法律の学位を取得したが、政治とジャーナリズムの道に進んだ。

彼は女優のマティルデ・ガルヴィアと結婚した。

ジャーナリズムとチャコ戦争

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姉ヨランダの夫カルロス・モンテネグロスペイン語版と友情を築いた。両者は政治及び報道に貢献するが、彼らは反対派の政治的、イデオロギーに対し激しいジャーナリズム批判を続けたため、世間からは嫌われた。

1927年頃、セスペデスは新聞記者としてエル・ディアリオ及びエル・ウニヴェサルで活躍する。

セスペデスは1932年にボリビア・パラグアイとのチャコ戦争にジャーナリストとして送り込まれる。彼の報告書は書籍(Crónicas heroicas de una guerra estúpida)にまとめられ1975年に出版された。

セスペデスは1936年にチャコ戦争を描いた『サングレ・デ・メスティソス』(Sangre de mestizos)を出版する。セスペデスは1942年ビクトル・パス・エステンソロエルナン・シレス・スアソスペイン語版ウォルター・ゲバラ・アルセスペイン語版、カルロス・モンテネグロ、ヘルマン・モンロイ・ブロックスペイン語版アルマンド・アルセハビエル・デル・グラナドスペイン語版ホセ・クアドロス・キロガスペイン語版等と共に民族革命運動党(MNR)を設立した。

1946年に鉱業の起業家 シモン・パティ-ニョの伝記をフィクションにした小説『メタル・デル・ディアブロ』を発表する。

最期

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セスペデスは政治家として、ボリビアの議会議員(1938年1944年1956年の3回)と外交官代理を勤めた。1945年にはパラグアイのボリビア大使として、1953年にはイタリアに赴任し、1978年ユネスコの大使として活躍した。

作品

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  • Sangre de Mestizos: relatos de la guerra del Chaco (El pozo, La paraguaya, la coronela...etc) (1936)
  • Metal del diablo, novela (1946)
  • El dictador suicida: 40 años de historia boliviana (1956) 
  • El presidente colgado (1966) 
  • Trópico enamorado, novela (1968) 
  • Salamanca o el metafísico del fracaso (1973) 
  • Crónicas heroicas de una guerra estúpida (1975) 
  • Las dos queridas del tirano (1984)


脚注

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