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  • 王立協会のサムネイル
    王立協会 (国王立協会からのリダイレクト)
    ころにはロイヤル・ポストが一般人郵便物も運ぶようになった。しかし、まだ郵便事情悪い部分もあり、オルデンバーグへの手紙がブレーメンから24日かかったとか、オックスフォードボイルの手紙が通常2日ところを4日かかったという速さであった。 ^ 「歴代会長一覧」を参照こと(英語版ウィキペディア)。…
    46キロバイト (5,785 語) - 2024年4月27日 (土) 04:52
  • ジェームズ1世 (イングランド王)のサムネイル
    ジェームズ1世 (イングランド王) (カテゴリ 出典を必要とする記述ある記事/2023年5月)
    助言や承認も必要なく、自由に法律や勅令を制定することができるという意味である。さらに1599年には『バシリコン・ドーロン(英語版)(古代ギリシア語で「王から贈り物」意味)』を著述し、国王から長男ヘンリー・フレデリックに向けた手紙という形式で君主論を論じている。国王は政治
    86キロバイト (10,763 語) - 2024年4月29日 (月) 10:24
  • 王へ報告する仕事も含まれ、王の手足となり統治補佐をするようになった。 国王秘書長官地位上昇はクロムウェル力量に依存していたため、彼が1540年に失脚すると影響力を失ったが、同年にヘンリー8世が首席秘書官(Principal Secretary)を設置、16世紀後半にエリザベス1世
    12キロバイト (1,199 語) - 2023年6月3日 (土) 07:51
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    カロン・ド・ボーマルシェ (カテゴリ フランス劇作家)
    助言は有効であった。言動を慎むように忠告し、「国王陛下がこの件に関して、何も書かないようお望みである」ことを伝えたのである。ボーマルシェはこの助言を守るべく、しばらくフランスを離れてイギリス渡ることにした。その道中、彼は友人である侍従長ラボルドに国王への執り成しを願うために手紙
    162キロバイト (29,357 語) - 2023年12月18日 (月) 02:36
  • ルイ16世 (フランス王)のサムネイル
    ルイ16世 (フランス王) (カテゴリ フランス国王)
    スキャンダルが世間に曝露されたにもかかわらず、国王威信はすぐに地に堕ちたというわけではなかった様である。当時民衆には良き王統治を求めた者も少なくなく、例えば1789年三部会開催に際し寄せられた数々意見は、「良き王への陳情」という形式が採られていたことが知られている。 日本
    39キロバイト (5,099 語) - 2024年4月15日 (月) 07:23
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    トマス・クロムウェル (カテゴリ 国王秘書長官)
    イングランド統合も果たした。地方行政・司法要となる治安判事任命権を王に独占させる法律も成立、各州ジェントリからなる治安判事を通じて王への権力集中と地方住民支持を目指した。中央行政機構改革は1536年頃に国王評議会から分離した枢密院整備と財政機構改革、枢密院
    53キロバイト (7,457 語) - 2023年11月29日 (水) 03:34
  • エリザベス1世 (イングランド女王)のサムネイル
    エリザベス1世 (イングランド女王) (カテゴリ アイルランド国王)
    人が受け入れがたいと考えるであろう「首長」 (Supreme Head) 称号ではなく、「最高統治者」 (Supreme Governor) 称号を受け入れざるを得なかった。新たな国王至上法は1559年5月8日に法制化された。全て役人は最高統治者たる国王へ忠誠
    146キロバイト (15,937 語) - 2024年4月6日 (土) 12:56
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    カール1世 (オーストリア皇帝) (カテゴリ ドイツ帝国元帥)
    ほとんどを新生オーストリア共和国に没収された後、二度にわたってハンガリー国王への復帰運動を企てたが失敗し、ポルトガル領マデイラ島に流されて困窮中で病死した。 政治的には成すところ少ない君主だったが、カトリック教会への
    68キロバイト (8,047 語) - 2024年2月28日 (水) 17:10
  • 4月30日 (カテゴリ 編集半保護中ページ)
    首謀者、ソリダス・スネーク死亡が確認される。(ゲーム『メタルギアソリッド2』) 年不詳 - ウサギおばあさん(ウサギ・ササ)、クマ子(クマ・タクマ)に最初の手紙を書く。(小説『おてがみもらった おへんじかいた』) 年不詳 - ニャン美宛に悪質なストーカーから手紙
    45キロバイト (4,666 語) - 2024年4月30日 (火) 14:31
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    フランシス・ベーコン (哲学者) (カテゴリ プロジェクト・グーテンベルクリンクがある記事)
    寛容を重視する姿勢が表れている。 ^ この時ベーコンはバーリー男爵宛の手紙で女王への釈明を書き送り、発言が良心に基づく行動だと主張、反抗ではなく女王への奉仕に向けられた義務と熱意表れと記し、謝罪せず自己正当性を主張し続けた。だが失脚ショックは大きく、エセックス伯宛の手紙で落ち込み
    78キロバイト (11,553 語) - 2023年12月27日 (水) 08:51
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    ジョージ3世 (イギリス王) (カテゴリ ハノーファー国王)
    国王兼アイルランド国王であり、1801年1月1日に両国が合同してから崩御するまでは、グレートブリテン及びアイルランド連合王国国王。 また同時に、神聖ローマ帝国ハノーファー選帝侯でもあり、1814年10月12日以後はハノーファー王ゲオルク3世 (Georg III)に昇格した。ハノーヴァー家国王
    83キロバイト (10,589 語) - 2024年4月29日 (月) 08:31
  • ジャン=ジャック・ルソーのサムネイル
    ジャン=ジャック・ルソー (カテゴリ 18世紀フランス哲学者)
    「レナル師への手紙」山路昭訳 「スタニスラス王への回答」山路昭訳 「グリム氏への手紙」山路昭訳 「ボルド氏への最後回答」山路昭訳 「ディジョンアカデミー会員「ルーアン外科医、ルカ」学問芸術論について新しい反論に対する手紙」山路昭訳 「ボルド氏への第二の手紙序文」山路昭訳 「英雄徳とはなにか」浜名優美訳…
    120キロバイト (17,420 語) - 2024年2月23日 (金) 20:48
  • number 154. 1599年7月12日、フィリピン総督からスペイン王への書簡 ^ General Archive of the Indies, Philippines, file 18, bunch 7, number 154. 1599年7月12日、フィリピン総督からスペイン国王への手紙
    9キロバイト (1,287 語) - 2023年12月7日 (木) 05:27
  • メアリー (スコットランド女王)のサムネイル
    メアリー (スコットランド女王) (カテゴリ 16世紀女性君主)
    ダーンリー卿暗殺計画に賛成した手紙も含まれているとされている「小箱の手紙」に関しても、メアリー・ステュアート研究者達間では、この数枚の手紙をメアリー直筆とする説には近年では否定的になってきており、偽造されたとする説が優勢になってきている。 メアリーに関しては、同時代
    32キロバイト (3,870 語) - 2024年4月2日 (火) 10:43
  • ナポレオン2世のサムネイル
    ナポレオン2世 (カテゴリ 日本語版記事がリダイレクト仮リンクを含む記事)
    2名高位貴族が、マリー・ルイーゼ母子を迎え、ランブイエ護衛した。 4月16日、フランツ1世帝と宰相メッテルニヒがランブイエ城を訪問し、ナポレオン・フランソワは母方祖父と初めて対面した。その後、ロシア皇帝アレクサンドル1世、プロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世から、相次いで訪問を受けた。…
    49キロバイト (5,999 語) - 2024年1月27日 (土) 03:41
  • ヴィクトリア (イギリス女王)のサムネイル
    ヴィクトリア (イギリス女王) (カテゴリ 日本語版記事がリダイレクト仮リンクを含む記事)
    弟でベルギー国王レオポルド1世が頻繁にヴィクトリアに手紙を送ってくることも気にくわなかった。ザクセン=コーブルク家は家をあげてイギリス王室を乗っ取ろうとしている、ウィリアム4世にはそのように思えたのである。 1836年8月21日国王誕生日式典における祈り
    320キロバイト (38,637 語) - 2024年4月29日 (月) 03:39
  • 長老派教会のサムネイル
    長老派教会 (カテゴリ 曖昧さ回避必要なリンクあるページ)
    国王至上権を確立しようとする試みに、メルヴィルは立ち向かった。しかし、1584年暗黒法で国王至上権と司教制が謳われ、長老教会は倒された。1592年黄金法はこの暗黒法を廃棄した。 1637年に、チャールズ1世は、カトリック的かつアルミニウス主義的な「ロード
    28キロバイト (3,693 語) - 2024年4月26日 (金) 21:33
  • 日本への原子爆弾投下のサムネイル
    1939年1月、イギリス国王書簡局発行『年2回刊 陸軍将校リスト 1939年1月号』に、昭和天皇名がイギリス正規軍陸軍元帥として掲載される。 1939年8月2日、アメリカへの亡命物理学者レオ・シラードらから提案を受けたアルベルト・アインシュタインがルーズベルト大統領に宛てた手紙
    162キロバイト (23,487 語) - 2024年3月14日 (木) 01:21
  • 神聖ローマ帝国のサムネイル
    ルドルフ1世はハプスブルク家をヨーロッパ有数家門に発展させた。ルドルフ即位後、神聖ローマ帝国最大諸侯であるボヘミア国王オタカル2世がローマ王への臣従を拒否して戦争になった。勢力は圧倒的にルドルフ側が不利であったが、巧みな外交手腕によって諸侯やハンガリー王国と同盟を結び、1278年にはマルヒフェルト
    274キロバイト (37,209 語) - 2024年3月27日 (水) 09:19
  • ラファイエットのサムネイル
    ラファイエット (カテゴリ プロジェクト・グーテンベルクリンクがある記事)
    国王を説得した可能性もあるが、定かでない。 ラファイエットは大陸会議には彼旅費を出す資金がないと知り、自ら112,000ポンドを出して帆船「ヴィクトワール(Victoire)」を購入した。「ヴィクトワール」が待つボルドー行き、家族反応を尋ねる手紙を送った。彼妻や他の親族からの手紙
    127キロバイト (17,099 語) - 2024年2月28日 (水) 13:56
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