黒木正浩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
黒木正浩
生年月日 (1972-03-10) 1972年3月10日(46歳)
民族 日本人
ジャンル 映画監督
活動期間 2004年 -

黒木 正浩(くろき まさひろ、1972年3月10日 - )は、日本の役者映画監督エンターテイナーである。 京都府京都市生まれ。ヨーロッパ企画、オポス所属。 「」としてのかっこいい生き方を模索し、「俳句」を詠むことを趣味とする。 映画監督としては「黒木組」を率い、数多くの映画を撮る。 ピアノ、ヌンチャク、80年代のディスコダンスをたしなむ。

来歴[編集]

保育園[編集]

当時の愛称は「まーくん」。 運動会の時、モモレンジャーのお面をかぶって走ることになったが、それを泣いて嫌がり、モモレンジャーのお面を破って、ミドレンジャー役に変えてもらった。 しかしのちに当時の写真を見ると、なぜか満面の笑顔でモモレンジャーのお面をかぶって走っている。

小学生~中学生[編集]

ブルースリー魁!!男塾風魔の小次郎をはじめとした車田正美作品など、黒木の人格を形成する偉大な作品たちに出会う。

自宅を「黒木道場」と呼び、友達もそう呼び始める。

隣の学校のやつらにボコボコにされ、好きだった女の子を取られた。 のちに、その女の子にキスの練習を求められるも、断る男気を見せる。

高校生~チーム時代[編集]

ペテン師黒木」などという落書き学校の壁にあふれ、黒木本人がそれを消す羽目になってしまう。

夜道、人に追いかけられ、友達と二人で竹やぶに逃げ込んだ。 友達は竹やぶで傷だらけになったが、黒木は傷ひとつなかった。

地元の某レーシングチームに入ってよろしくやる。

周りの友達が高校を辞めていくという大きな流れがあり、その中で、黒木も高校を辞めた。

チーム時代は、楽しい日々が続いたが、仲間がみんな18歳になり、を買うからと言って働きはじめ、3月生まれの黒木だけがバイクに乗っている状況に。 その後、チームはなんとなく散り散りになる。

ディスコ時代[編集]

20歳ごろ、木屋町ディスコのVIPルームに入りびたる。 ドリンクや食事のチケットが山ほどもらえて、使いきれない時期をすごす。 ディスコに来ていた外国人たちとも親密になる。 一方で、祇園のディスコではお立ち台の女性たちに罵声を浴びせてしまい、出入り禁止に。

友達のおじさんと毎日いっしょにいて、土地を見にいくのについて行ってはお金をもらう、という不思議なバイトの日々を過ごす。 それがある日もらえなくなり、友達にそれを言ってみると「お前何にもしてへんやろ!」と、当たり前のことを言われる。


全日おっかけ時代[編集]

全日本プロレスのおっかけで、友達と3年間ほど全国を回る。 関西圏での試合や、重要な興業は、ほぼ欠かさず見にいく。

ある日の試合後、お金がなくて、グッズ売り場に立っているジャイアント馬場に手を振っていると、傍らにいた馬場の奥さんから、「あの子たち、いつも来てる子たちよ」と、馬場に引き合わせてもらえる。 そこで、ジャイアント馬場にNSCにいくことを相談すると、「物事をはじめるのに遅いも早いもないよ」と、ありがたい言葉をもらう。

お笑い時代[編集]

26歳ごろ、NSCに入学、コンビを組んでは別れを繰り返しながら、オーディションに出場し続ける日々。 「西海岸」、「あじしおボーイズ」など、さまざまなコンビを経験。 劇場の出口で、お客さんの女子高生から罵声を浴びせられ、黒木も言い返して、嫌われてしまう。

このころ、友達と車に乗っているとき、センターラインを割ってきた対向車と正面衝突。後部座席にいた黒木だけ、車外に投げ出されて助かる。 その後、松葉杖をつきながらコントをしていた。

劇団のようなコントユニット「ワンツースリー」結成。 一年間で7本公演を打ったのち、解散。

当時同じユニットの先輩だった、現・浜辺のウルフさんから、ヨーロッパ企画の公演「冬のユリゲラー」のビデオを借りて、見る。感動してしまう。


ヨーロッパ企画へ[編集]

2004年、ヨーロッパ企画第14回公演「空前のクイズアワー」を観にきて、そのまま打ち上げに参加。 そのまま入団を希望するも、当時のメンバーの平均年齢が24歳くらいだったのに対し、黒木は31歳だったので、すこし躊躇された。とはいえ入団。

「ショートショートムービーフェスティバル」で、初めて映画「ザ・レストラン」を監督。審査員の本広克行監督に投票してもらった。 そのイベントは、照明オペも任されていたが、居眠りしてしまい、「感電して気を失っていた」と嘘をつく。

2004年、ヨーロッパ企画第16回公演「インテル入ってない」に出演。 同じく初出演だった、当時18歳だった西村直子と買い出しに出かけ、道中、仲良くなろうとしてセクハラっぽい会話をしてしまい、嫌われる。

当時の彼女と結婚目前だったが、相手の母親の反対により破談。家にまで怒鳴りこみに来られる。

ヨーロッパ企画の事務所でうんこするとき、ドアにうまく鍵がかけられず、西村に開けられてしまい、驚かれてまた嫌われる。これは2回あった。


黒木組結成[編集]

2006年、「黒木組」結成。ヨーロッパ企画の役者や映像スタッフとともに、映画監督としての基盤をじわじわと固め始める。 これ以降、「智恵光院雀鬼」「硬派探偵」など、少年漫画的な世界観のもと、正しい生き様を問いかける活劇映画シリーズを、数多く監督。

また、協力者たちに神輿を担がれる形で、「黒木祭」「黒木ピアノリサイタル」「黒木VSゾンビ」など、さまざまなイベントを開催。

2007年、バイト先の女子に恋をしたことが、ラジオ「ヨーロッパ企画の試験放送」の中で、「バイト男」というコーナーに。 ラジオをあげて応援したが、相手にばれ、ディレクターさんが謝りにいくという結末に。

「ピンヒールストンピング」というコンビ名で、Ⅿ‐1グランプリに出る。バッグを盗まれるのが嫌で、バッグを舞台袖にもっていく。

ベビーピーの根本コースケと、麻雀対決。あまりにも負けるので腹が立ち、諏訪と間違ったイカサマをするも、負ける。

2008年、実写映画「魁!男塾」にいたく興奮し、「応援団」を買って出る。ヨーロッパ企画メンバーを巻き込み、誰一人出演していないのに、学ランで街を練り歩いて絶叫で宣伝した。

アプリゲーム「サンシャイン牧場」をはじめ、1日のほとんどをそれに費やす。 サービスが停止する最後の日に行ってみたら、収穫はできるものの、作物を植えることはできなかった。

2011年にKBS京都で「ヨーロッパ企画の暗い旅」がスタート。そこでは名物キャラクターとして取り沙汰され、「クイズ!黒木」「黒木マジックショー」「黒木ケミカルマジックショー」など、さまざまな黒木企画が行われる。

2012年、ピアノを習い始める。月謝は先生の家の芝刈りと犬の散歩。しかし三カ月ほどで挫折。

2013年、アプリゲーム「モンスターストライク」を始め、1日のほとんどをそれに費やす。

2014年、家庭の事情により、黒木道場転居。

2017年、アプリゲーム「魁!男塾」の、サービスが止まる最後の瞬間を見届けるべく、現在もプレイ中。


仙人時代[編集]

2017年 ハゲか白髪かの選択をせまられ、白髪を選ぶ。 髪のことを考え、お湯だけのシャンプーをし始める。時には、重曹とクエン酸で炭酸シャンプーをすることも。飲んでも害がない天然リンスも自作し始める。 卵殻パウダーも乳鉢で作り始める。それを酢と飲んでいる。

引用[編集]

KBS京都ヨーロッパ企画の暗い旅」2017年10月22日放送