鶯塚古墳

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鶯塚古墳
Uguisuzuka-kofun.jpg
所在地 奈良県奈良市雑司町
位置 北緯34度41分28秒 東経135度51分16秒 / 北緯34.69111度 東経135.85444度 / 34.69111; 135.85444 (鶯塚古墳)座標: 北緯34度41分28秒 東経135度51分16秒 / 北緯34.69111度 東経135.85444度 / 34.69111; 135.85444 (鶯塚古墳)
形状 前方後円墳
規模 墳丘長103m 
埋葬施設 不明
出土品 小型鏡 滑石製斧 埴輪
築造時期 5世紀
史跡 国の史跡(1936年指定)
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鶯塚古墳(うぐいすづかこふん)は、奈良県奈良市雑司町に所在する古墳時代中期の前方後円墳。景勝地である若草山の山頂に所在し、国の史跡である。

概要[編集]

古都奈良を一望にする若草山の頂上の絶景の地に築造されており、清少納言枕草子にある「みささぎはうぐひすのみささぎ、かしはぎのみささぎ、あめのみささぎ」の「うぐいすの陵」と伝えられてきたのが、この鶯塚古墳である。1733年(享保13年)に墳丘上に「鶯陵」の顕彰碑が建てられているが、当時は仁徳天皇皇后磐之姫命の陵との考えもなされていたようである。明治になって八木奘三郎によって前方後円墳であることが発表され、浜田耕作によって埴輪が採集されている。こうして、古墳としての認識が広がり、外形実測などが行なわれ、1936年(昭和11年)には国の史跡に指定されている。実測によると全長は103メートル、前方部幅約50メートル、後円部径61メートルの二段築成の前方後円墳である。外部施設として、葺石と埴輪をめぐらしている。太平洋戦争後、墳丘に柵が設けられた時に前方部から仿製内行花文鏡が出土している。また別の時に滑石製舟形石製品や船形埴輪、家形埴輪(復原すれば大形の切妻屋根家屋となる)が採集されている。山頂の地形を利用した古墳は古墳時代の前期のものと考えられたこともあったが、滑石製品の採集で、この古墳については5世紀初頭まで時期が降るのではないかと考えられている。

参考文献[編集]

  • 伊達宗泰 『大和考古学散歩』株式会社学生社、1968年、14頁‐18頁。
  • 『図説日本の史跡 第3巻 原始3』同朋舎、1991年。
  • 大塚初重小林三郎・熊野正也編『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。