コンテンツにスキップ

鴨直氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鴨氏
氏姓
本貫 備前国児嶋郡賀茂郷
著名な人物 鴨君麻呂
凡例 / Category:氏

鴨直氏(かものあたいうじ)は、(かも)を氏の名、(あたい)を姓とする日本氏族

概要

[編集]

平城京跡出土の木簡(735年天平7年)から747年(天平19年)までの間の木の札)に、「備前国児嶋郡賀茂郷・鴨直君麻呂調塩三斗」 と墨で書かれたものがある。賀茂郷の鴨の君麻呂という豪族が、三斗という大量の塩を奈良に送っており、鴨神社の荘園の預り主であったということが窺える。なお、当時の賀茂郷が現在の荘内と宇野・玉・日比・渋川までの範囲であり、南北共に海に面していた。当時の製塩土器である師楽式土器の分布状態から見ると、南岸で製塩されたものとされているが、下加茂村は北岸という地理的利便性から、こちら側でも製塩されたものと思われる。

1903年明治36年)まで児島郡上加茂村下加茂村があったが、合併して荘内村となった。なお、鴨神社や加茂神社があり、両神社の間を鴨川が流れている。特に鴨神社は平安期初頭に創建され、大和国葛上郡加茂の高鴨神社から味鋤高日子根命を祭神として勧請した。延喜初年の創建とされる児島郡内最古の神社であり、延喜式神名帳では備前国式内23社の内の1社である。

備中連島戦国時代以前は備前国児島郡都羅郷)の、連嶋町史(昭和31年発行、発行者 連島町誌編纂会)第八章 連島の古城址に、北茂城の城主として、1735年享保20年)に編纂された『古戦場備中府志』(平川親忠著)巻の五 浅口郡の条下には、当城主に吉備大臣嫡孫右京大夫光栄としている。伝云、孝謙天皇天平勝宝四年五月賀茂朝臣を賜る、天文暦数を掌る、一家両道を兼ねて宝器を保つ、暦道を以て其子光栄に伝へ天文道を以て弟子安部の晴明に伝う、自此己後両道相分つ云々と記述されている。この伝云う記事は『右大臣吉備公傳纂釈』より引用したものと思われ、重野安繹『右大臣吉備公傳纂釈』(『岡山県通史』上編374頁 編著永山卯三郎)には、或いは伝う陰陽道博士賀茂保憲吉備公の裔なり、天文博士を兼ね、973年 - 975年(天延中)に暦を造り暦道を其子光栄に伝へ天文道安部晴明に伝うとの記事があることから、右京大夫光栄は賀茂光栄であったことになるが、納得し兼ねるとしている。

参考文献

[編集]
  • 近藤敏喬 編『古代豪族系図集覧』東京堂出版、1993年。ISBN 4490202253 
  • オープンアクセス鈴木真年 編『国立国会図書館デジタルコレクション 苗字尽略解』 上、玉養堂、1878年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/780536 国立国会図書館デジタルコレクション 
  • 宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年。 
  • 樋口清之丹羽基二『姓氏』秋田書店、1970年。 
  • オープンアクセス太田亮著・上田萬年三上参次監修「国立国会図書館デジタルコレクション 賀茂 カモ」『姓氏家系大辞典』 1巻、姓氏家系大辞典刊行会、1934年、1785-1790, 1793頁。 NCID BN05000207OCLC 673726070全国書誌番号:47004572https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1130845/966 国立国会図書館デジタルコレクション 
  • 佐伯有清 編『日本古代氏族事典』雄山閣出版、1994年。 
  • 坂本太郎・平野邦雄監修『日本古代氏族人名辞典』吉川弘文館、1990年。