高良勉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

高良 勉(たから べん、1949年 - )は、沖縄県出身の日本詩人、沖縄県史料編集室主任専門員[1]。本名は、高嶺朝誠(たかみね ちょうせい)であり[2]、沖縄県史料編集室紀要に掲載される学術論文は、本名で発表されている[3]

経歴[編集]

沖縄県島尻郡玉城村生まれ[4]1976年静岡大学理学部化学科を卒業し、沖縄で県立高校の教師となる[4]1984年に発表した詩集『岬』により、第7回山之口貘賞を受賞[1]1990年フィリピン大学大学院へ留学[4]1990年代半ばには沖縄県立普天間高等学校教諭として反基地運動に参加し、しばしばメディアにも露出した[5][6]日本文藝家協会日本現代詩人会会員[1]

沖縄・一坪反戦地主会の運動に参加し、嘉手納基地内に土地を共有している[2][7]

2013年5月15日、琉球民族独立総合研究学会に発起人の一人として参加した。

近年は、南風原町に住んでいる[8]

おもな著書[編集]

詩集[編集]

  • 夢の起源、オリジナル企画、1979年
  • 岬(南島叢書 16)、海風社、1984年 - 山之口貘賞を受賞
  • 花染よー、葦書房、1989年
  • 高良勉詩集(沖縄現代詩文庫 7)、脈発行所、1991年
  • 越える : わがカミうた 詩集、ニライ社、1994年
  • サンパギータ : フィリピン詩篇、思潮社、1999年
  • 絶対零度の近く、思潮社、2002年
  • ガマ、思潮社、2009年

評論など[編集]

  • 琉球弧 : 詩・思想・状況(南島叢書 45)、海風社 1988年
  • 発言・沖縄の戦後五〇年(おきなわ文庫 72)、ひるぎ社、1995年
  • 琉球弧の発信 : くにざかいの島々から、御茶の水書房、1996年
  • 僕は文明をかなしんだ : 沖縄詩人山之口貘の世界、彌生書房、1997年
  • 沖縄生活誌(岩波新書)、岩波書店、2005年
  • ウチナーグチ(沖縄語)練習帖(生活人新書 154)、日本放送出版協会、2005年
  • 魂振り : 琉球文化・芸術論、未來社、2011年

出典・脚注[編集]

  1. ^ a b c 高良勉『ウチナーグチ(沖縄語)練習帖』日本放送出版会〈生活人新書 154〉、215頁。 :奥付
  2. ^ a b 沖縄県収用委員 第7回会審理記録 高良勉”. 沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック. 2013年9月23日閲覧。
  3. ^ CiNii Articles 検索 - 高嶺朝誠”. 国立情報学研究所. 2013年9月23日閲覧。
  4. ^ a b c 新刊の紹介 2005年8月19日発売 沖縄生活誌 高良勉著”. 岩波書店. 2013年9月23日閲覧。
  5. ^ “代理署名手続き 沖縄県民、新たな怒り「社会党首相なのに」”. 読売新聞・西部夕刊: p. 7. (1995年11月21日). "宜野湾市の米軍普天間基地の隣接地に住む詩人で普天間高校教諭の高良勉さん(46)は..."  - ヨミダス歴史館にて閲覧
  6. ^ “市民団体などが反沖縄基地の集会 普天間高の教諭が講演 静岡”. 朝日新聞・朝刊・静岡. (1996年4月29日). "静岡大出身で沖縄・普天間高教諭の高良勉さん(四六)が「沖縄の今」を講演。"  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  7. ^ “嘉手納基地の実態で地主ら意見陳述”. 琉球新報. (1997年9月25日). http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-90241-storytopic-86.html 2013年9月23日閲覧。 
  8. ^ 清水大輔 (2013年8月14日). “沖縄、9条実感したい 碑に条文、戦争語り継ぐ 「平和、支えているんだよ」”. 朝日新聞・朝刊・西部: p. 31  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧