高井利平
表示
高井 利平(たかい りへい、旧姓・臼井[1]、前名・竹次郎[1]、1868年11月18日(明治元年10月5日) - 没年不明)は、日本の実業家・地主[2][3]・資産家[4]。万里銀行頭取[5]。五十六銀行常務取締役[1][6]。三十八銀行[1]、高井織物各監査役[7]。姫路莫大小取締役[7]。族籍は兵庫県平民[5]。
人物
[編集]兵庫県加東郡上福田村字木梨(現・加東市)に生まれた[8]。臼井庄吉の二男[1]。小野中学校卒業後、東京、大阪、琉球等の各地の銀行に勤務した[8]。高井家の養子となり、1898年に養祖父利平の後を承け家督を相続し、前名竹次郎を改め襲名した[2]。
資性温厚、誠直であった[8]。趣味は謡曲[6]、仕舞囃子[2]。宗教は曹洞宗[2]。住所は兵庫県姫路市大黒町[5]。
家族・親族
[編集]- 高井家
- 養祖父・利平[2][9](木綿卸商)[10] - 姫路大黒町の人である[9]。利兵衛の子である[9]。家は国産木綿問屋を営み慶応3年、藩御用達となった[9]。1891年、万里銀行を起こした[9]。姫路実業界の巨頭であった[9]。1898年8月24日、没した[9]。年72[9]。
- 養父・利三郎[2]
- 養妹
- 妻・ちか(1876年 - ?、養父・利三郎の長女)[5]
- 男・英一(1895年 - ?、神戸銀行員)[2]
- 長女・ちよ(1898年 - ?、田淵一雄の妻)[5]
- 二男・順二(1908年 - ?、野田義夫の養子)[2]
- 男・孝三(1909年 - ?、大阪貯蓄銀行員[2]、大阪府立園芸教諭[6])
- 孫[6]
- 親戚
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 『人事興信録 第9版』タ82頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年12月15日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l 『人事興信録 第13版 下』タ90頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年12月15日閲覧。
- ^ 『日本紳士録 第44版』兵庫タの部78頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年12月15日閲覧。
- ^ 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』9頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年12月15日閲覧。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第4版』た57頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年12月15日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第14版 下』タ86頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年12月15日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第7版』た83頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年7月14日閲覧。
- ^ a b c 『大正人名辞典』1329頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年2月25日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『姫路市史 市制施行三十年記念』260頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年12月15日閲覧。
- ^ 『日本全国商工人名録 明治25年版』兵庫県450頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年12月9日閲覧。
参考文献
[編集]- 『日本全国商工人名録 明治25年版』日本全国商工人名録発行所、1892年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』時事新報社、1916年。
- 東洋新報社編『大正人名辞典』東洋新報社、1917年。
- 播磨史談会編『姫路市史 市制施行三十年記念』姫路市、1919年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 交詢社編『日本紳士録 第44版』交詢社、1940年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。