餓鬼草紙

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旧河本家本『紙本著色餓鬼草紙』第3段「食糞餓鬼図」
主題は餓鬼であるが、平安時代鎌倉時代の端境期にあたる12世紀後期中葉の日本の都市における庶民排便の様子も反映していると考えられる。
描かれているのは、平安京域内(洛中)の小路で排便する人間達(庶民)と、人間の糞便を食いたくてたむろしている食糞餓鬼じきふんがき伺便餓鬼しべんがきとも称す)である。餓鬼は、髪が逆立ち、腹だけが膨れ上がり、四肢や胸などが酷く痩せこけた、浅黒い体の7匹。
人間は白っぽく描かれている5人で、まず、画面中央左寄りには、恥知らずなのか無警戒なのか古今の日本人に共通するうんこ座り(ヤンキー座りと同様)で小路のおもてのほうを向いて用便中の若い女がいる。この女は餓鬼どもに好かれているようで、画面手前の2匹などは姿勢を低くして女の股を覗き見していると思われる。女の背後にも3匹が控えている。しかしそのうちの1匹は左側にいるおきなが中腰のまま脱糞し始めたことにひどく驚いて腰を抜かしたようなコミカルな表情をしている。また画面中央には、服が汚れないように全裸で用便中の童子がいるが、傍らにいるほっかむりをした用便中の女のほうへ顔を向けている。言葉を交わしているのであろうか、恐らくは母子である。最後に、左端の網代[* 1][1]の近くではおうなが用便中である。人間は全員が高下駄を履いているが、これは用便中の跳ね返りを防ぐためと考えられる[2]。また、籌木(用便中に体のバランスを取ったり、尻に着いた糞便を掻き落としたりするための道具)が、紙(反故紙か)と共に人々の足元に散乱している。童子は右手に持った籌木を地面に立てて転ぶのを防いでいる。
ところで、背後に見える築地塀は土壁が大きく剥がれて木枠が露出し、屋根には1枚も見られない。ずんぶん荒廃している印象を受ける。

餓鬼草紙(がきぞうし[3]、がきそうし[4])は、地獄餓鬼道世界を主題とした、日本絵巻である。「正法念処経」の説く、現世の「原因(所業)」に対する来世の「結果(応報)」が描かれている。

概要[編集]

平安時代末期から鎌倉時代初頭の不安定な動乱期の社会情勢を背景として、一世を風靡した六道思想を反映した「地獄草紙」などと共に制作されたと考えられる。

現存餓鬼草紙[編集]

旧河本家本[編集]

旧河本家本きゅうこうもとけぼん 紙本著色しほんちゃくしょく 餓鬼草紙がきぞうし 

後白河法皇蓮華王院三十三間堂宝蔵に納めた「六道絵」の一部と考えられる。岡山県の河本家[6] に伝来し、詞書は失われている。

10枚継ぎの料紙に欲色餓鬼、伺嬰児餓鬼、羅刹餓鬼、食糞餓鬼(■右上画像を参照)、疾行餓鬼、曠野餓鬼、食火餓鬼、塚間餓鬼、食吐餓鬼、食水餓鬼などの諸餓鬼を描く。

旧曹源寺本[編集]

旧曹源寺本きゅうそうげんじぼん 紙本著色しほんちゃくしょく 餓鬼草紙がきぞうし

  • 京都国立博物館所蔵(この意の略称は、京博本)。曹源寺旧蔵。
  • 縦26.8cm、全長538.4cm。
  • 1953年(昭和28年)11月14日、国宝指定。国宝指定名称:紙本著色餓鬼草紙。指定番号:00081。員数:1巻。種別:絵画。時代区分:鎌倉。所有者名:独立行政法人国立文化財機構。[7]

こちらも後白河法皇が蓮華王院三十三間堂の宝蔵に収めた「六道絵」の一部と考えられる。

盂蘭盆経」に基づき目連尊者が餓鬼道に堕ちた母を救う物語、阿難尊者に施餓鬼供養を習った僧が焔口餓鬼を救う物語、が恒河畔の五百の食水餓鬼を救う物語などを生き生きと描く。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 網代壁(あじろかべ)とは、枌板(へぎいた。材を加工した薄手の板)を主材とした網代編みの壁。

出典[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]