韓須

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韓 須(かん しゅ、生没年不詳)は、韓貞子[1](かん ていし)ともいい、春秋時代の卿。

韓須は韓起(韓宣子)の子として生まれた。紀元前540年、韓須はに赴いて晋の平公の妻となる公女の少姜(少斉)を迎えた[2]紀元前538年、平公の命を受けて、使者として出国していた。このころ韓須は韓起の後継と見なされていた[3]紀元前514年[4]、韓起が死去すると、韓須は後を嗣いで韓氏の宗主となった。韓須は平陽に居を移した[5]

脚注[編集]

  1. ^ 史記』韓世家による。『史記索隠』韓世家所引『世本』は平子とする。
  2. ^ 春秋左氏伝』昭公2年
  3. ^ 『春秋左氏伝』昭公5年
  4. ^ 『春秋左氏伝』昭公28年
  5. ^ 史記』韓世家
先代
韓起
氏当主
第7代
次代
韓不信