阿羅本

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阿羅本(あらほん、阿罗本ピンイン: Āluóběn)は、唐朝キリスト教を広めるために訪れた宣教師。阿羅本の原音は、セム系"アブラハム"の訳であるという説[1]や、aloho punoya, "神の改宗"[2]などの説がある。

歴史上、最も早く中国にキリスト教(ネストリウス派)を伝えた人物といわれている。

大秦景教流行中国碑」によると、唐代貞観9年(635年)、阿羅本はアッシリア東方教会の使いでネストリウス派主教として、宣教団を率い、首都・長安へ向かった。唐太宗宰相房玄齢に長安郊外まで出迎えさせた。当時、唐は各所からの外国人の来訪を歓迎していた。

貞観12年(638年)、ネストリウス派キリスト教は唐朝に認められ、唐朝は資金を援助して、教会(後の大秦寺)を建てさせた。 唐高宗時代になると、阿羅本に「鎮国大法主」に封ぜられ、各地に景寺(教会)を建てるよう、詔勅が下され、ネストリウス派キリスト教は唐王朝に広まることになった。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ P. Y. Saeki, The Nestorian Documents and Relics in China, 2nd ed., Tokyo: Academy of Oriental Culture, 1951
  2. ^ Ethridge, J.W. The Syrian Churches, London: Longman, Green, Brown and Longmans, 1846.