長藪城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

長藪城(ながやぶじょう)は、和歌山県橋本市細川と慶賀野にまたがる城跡。現在の城山台に位置する。出城、西の城、東の城の3つにより構成される。

影響[編集]

出城、西の城、東の城を、併せて城山と呼ぶことから、その周辺の地区を城山台と呼ぶようになった。

概要[編集]

相賀蜷川氏の始めの人とされる蜷川義春が、文明年中に伊都郡に入り、谷内郷(橋本川流域地区)を支配し、紀伊守護に仕えて一万石を支配していたと、 『紀伊続風土記』に記されている。やがて、大和の松永禅正に攻められ、義春の子義則が、城を退去した。その後、信長により落城し、今の長薮城跡になると伝承されている。

出典[編集]

仁井田好古 紀伊続風土記