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鍋島直永

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
鍋島 直永
時代 江戸時代後期
生誕 文化10年9月29日1813年10月22日
死没 安政元年12月23日1855年2月9日
改名 学四郎(幼名)、直永
戒名 照徳院殿良水決水大居士
墓所 佐賀県鹿島市古枝町久保山の普明寺
官位 従五位下、丹波守、上総
幕府 江戸幕府
肥前鹿島藩
氏族 鍋島氏
父母 父:鍋島斉直
母:於増(石井尚方娘・鍋島直宜養女)
養父:鍋島直彜
兄弟 神代賢在、姉(阿部正寧室のち伊達宗徳室)、
直孝、姉(鍋島直堯養女)、姉(久世通熙室)、
姉(鍋島茂義室)、直永茂真直正茂快
妹(鍋島茂勲室)、珍治、妹(松平斉貴室)、
茂元、妹(諫早茂喬室)、直賢文武
正室:鍋島茂延の娘・於統(朝春院)
側室:山口常福の娘、伊東重貞の娘
娘(鍋島直亮正室)、直彬
娘(鍋島直紀継室)、養子:直晴
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鍋島 直永(なべしま なおなが)は、肥前鹿島藩の第10代藩主。佐賀藩主・鍋島直正(閑叟)の実兄である。

生涯

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文化10年(1813年)9月29日、佐賀藩第9代藩主・鍋島斉直の十三男として生まれる。母は側室・於増の方(石井尚方の娘)。文政2年(1819年)4月15日、叔父の鹿島藩第9代藩主・鍋島直彜の養子となる。文政3年(1820年)2月17日に直彜が隠居したため家督を継ぐ。

天保10年(1839年)6月4日、家督を養子(直彜の実子)の直晴に譲って隠居した。隠居後に生まれた実子の直彬は、3代後に家督を継いで、最後の鹿島藩主となる。安政元年12月23日(1855年)に死去した。享年42。

系譜

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父母

正室

側室

子女

養子