鍋島直永
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 文化10年9月29日(1813年10月22日) |
死没 | 安政元年12月23日(1855年2月9日) |
改名 | 学四郎(幼名)、直永 |
戒名 | 照徳院殿良水決水大居士 |
墓所 | 佐賀県鹿島市古枝町久保山の普明寺 |
官位 | 従五位下、丹波守、上総介 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 肥前鹿島藩主 |
氏族 | 鍋島氏 |
父母 |
父:鍋島斉直 母:於増(石井尚方娘・鍋島直宜養女) 養父:鍋島直彜 |
兄弟 |
神代賢在、姉(阿部正寧室のち伊達宗徳室)、 直孝、姉(鍋島直堯養女)、姉(久世通熙室)、 姉(鍋島茂義室)、直永、茂真、直正、茂快、 妹(鍋島茂勲室)、珍治、妹(松平斉貴室)、 茂元、妹(諫早茂喬室)、直賢、文武 |
妻 |
正室:鍋島茂延の娘・於統(朝春院) 側室:山口常福の娘、伊東重貞の娘 |
子 |
娘(鍋島直亮正室)、直彬、 娘(鍋島直紀継室)、養子:直晴 |
鍋島 直永(なべしま なおなが)は、肥前鹿島藩の第10代藩主。佐賀藩主・鍋島直正(閑叟)の実兄である。
生涯
[編集]文化10年(1813年)9月29日、佐賀藩第9代藩主・鍋島斉直の十三男として生まれる。母は側室・於増の方(石井尚方の娘)。文政2年(1819年)4月15日、叔父の鹿島藩第9代藩主・鍋島直彜の養子となる。文政3年(1820年)2月17日に直彜が隠居したため家督を継ぐ。
天保10年(1839年)6月4日、家督を養子(直彜の実子)の直晴に譲って隠居した。隠居後に生まれた実子の直彬は、3代後に家督を継いで、最後の鹿島藩主となる。安政元年12月23日(1855年)に死去した。享年42。
系譜
[編集]父母
正室
- 於統、朝春院 ー 鍋島茂延の娘
側室
子女
養子