鍋島直朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
 
鍋島 直朝
Nabeshima Naotomo.jpg
鍋島直朝像(祐徳博物館蔵)
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 元和8年1月21日1622年3月3日
死没 宝永6年11月19日1709年12月19日
改名 仁王(幼名)、茂継(初名)、直朝、紹竜(法号)
戒名 普明院
墓所 佐賀県鹿島市古枝町久保山の普明寺
官位 従五位下、刑部大輔、和泉守、贈正四位
幕府 江戸幕府
肥前鹿島藩
氏族 鍋島氏
父母 父:鍋島勝茂
母:岡部長盛の娘(徳川家康養女)・菊姫
養父:鍋島正茂
兄弟 元茂忠直直澄直弘直朝神代直長
妹(多久茂辰室)、妹(諫早茂敬室)、
妹(神代常利室)、妹(鍋島直広室)、
妹(上杉定勝正室)、妹(深溝松平忠房正室)
正室:鍋島高賢の娘・彦千代(寿性院)
継室:花山院定好の娘・万子姫(祐徳院)
側室:木庭茂吉の娘
断橋(長男、僧、俗名鍋島直孝、格峰)、直條朝清(6男)、朝則(7男)

鍋島 直朝(なべしま なおとも)は、肥前鹿島藩の初代藩主。前2代に鍋島忠茂正茂がいるが、正茂系は5000石の旗本として存続したため、別家として扱われる。

生涯[編集]

元和8年(1622年)1月21日、佐賀藩初代藩主・鍋島勝茂の九男として佐賀城三ノ丸で生まれる。寛永13年(1636年)、父は直朝を鹿島藩第2代藩主・鍋島正茂養子として強引に送り込み、寛永19年(1642年)には養子問題で対立していた正茂を追放、家督を直朝に継がせて鹿島藩主とした。

寛文12年(1672年)12月9日、家督を三男・直條に譲って隠居する。その後は紹竜と号した。宝永6年(1709年)11月19日に死去した。享年88。

柳生流の認可を受けた達人であったといわれ、書画や歌道にも秀でていたといわれる。絵を良くしていた証拠に、寛文2年(1662年)正月に描いた、大和絵風の自画像が残っている[1]。また、現在における鹿島市発展の基礎を築いたといわれている。

脚注[編集]

  1. ^ 川崎市民ミュージアムほか編集 『21世紀の本居宣長』朝日新聞社発行、2004年9月、p.66。