鍋島直賢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
 
鍋島 直賢
時代 江戸時代後期(幕末
生誕 天保5年6月11日1834年7月17日
死没 安政6年9月23日1859年10月18日
改名 安次郎(幼名)、直賢
戒名 賢徳院殿宗巌雄威大居士
墓所 佐賀県鹿島市古枝町久保山の普明寺
幕府 江戸幕府
肥前鹿島藩
氏族 鍋島氏
父母 父:鍋島斉直、母:石井本昭の妹・眠
養父:鍋島直晴
兄弟 神代賢在、姉(阿部正寧室のち伊達宗徳室)、
直孝、姉(鍋島直堯養女)、姉(久世通熙室)、
姉(鍋島茂義室)、直永茂真直正茂快
妹(鍋島茂勲室)、珍治、妹(松平斉貴室)、
茂元、妹(諫早茂喬室)、直賢文武
実子:なし、養子:鍋島直彬

鍋島 直賢(なべしま なおさが)は、肥前鹿島藩の第10代藩主。佐賀藩主・鍋島直正(閑叟)の実弟。名は「なおかた」ともいわれる。

生涯[編集]

天保5年(1834年)6月11日、佐賀藩第9代藩主・鍋島斉直の二十八男として佐賀城で生まれる。母は斉直の側室石井氏。天保10年(1839年)に第9代鹿島藩主・鍋島直晴が死去したため、天保11年(1840年)5月28日にその養子として家督を継ぎ、第10代藩主となった。藩政では水害などの天災に悩まされ、その救済における出費などで財政難に陥った。このため、本家の藩主で実兄である直正の介入を招き、嘉永元年(1848年)9月14日には直正の命令で強制隠居させられ、後継者には養子の直彬が迎えられた。

以後、直賢は病気療養として花岡山の別荘で過ごすことになり、安政6年(1859年)9月23日に死去した。享年26。