鋤田誠二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

鋤田 誠二(すきた せいじ、1965年1月18日 - )は、地方競馬金沢競馬場所属の調教師、元騎手(騎手時代及び厩舎開業時は福山競馬場所属)である。最終所属は檜山博史厩舎。騎手時代の勝負服の柄は黄、黒菱山形一文字。山口県出身、血液型A型。

経歴[編集]

騎手時代[編集]

1982年3月31日付けで地方競馬騎手免許を取得し、鋤田久厩舎からデビュー。同年5月1日福山競馬第2競走でマロツトパールに初騎乗(9着)。同年5月29日福山競馬第1競走でオークライトに騎乗し初勝利。

1986年1988年1989年1990年1991年1998年に福山競馬リーディング獲得。

1990年、1991年、1993年2002年にNAR優秀騎手賞受賞。 1999年地方競馬通算1500勝達成。

2005年10月16日ナイスバンチ号で地方競馬通算2000勝達成。地方競馬では史上61人目。福山競馬場の生え抜き騎手では初の2000勝達成騎手。

2007年1月、鋤田久調教師死去に伴い江口秀博厩舎に所属変更。その後檜山博史厩舎に所属変更した。同年2月14日第22回園田競馬3日目に実施された第15回ゴールデンジョッキーカップ出場。同日第7競走ファイティングジョッキー賞をレッドインパルスで逃げ切り優勝した(12頭立て5番人気)。続く2競走では下位にとどまり、総合成績は5位[1][2]。同年3月17日第19回福山競馬1日目第1競走アラ系C212組条件戦をタケゼンで優勝(8頭立て4番人気)し、14727戦目で地方競馬通算2100勝達成[3]

調教師転身のため、2009年5月31日付けで騎手引退[4]

地方通算成績は15690戦2191勝・2着2028回・3着1914回・勝率14.0%・連対率26.9%

調教師時代[編集]

2009年5月22日調教師試験に合格し、同年6月1日付けで調教師免許取得[5][6]。同年7月に厩舎開業。

地方通算成績は52戦7勝・2着2回・3着5回・勝率13.5%・連対率17.3%(2009年10月12日現在)

主な管理馬[編集]

エピソード[編集]

晩年は怪我などで存分に活躍はできなかったが、デビュー当初から持ち前の豪腕で名を知らしめ、1985年大井競馬場にて行われた全日本アラブ大賞典に若手でありながら遠征し、道中福山とは違う広いコースで早仕掛けをするも、その豪腕で騎乗したバビロンニセイを4着に粘らせた。特に自厩舎で多くを勝ち、父である久との親子鷹で、同年の双方のリーディングを獲得した事が3度ある。また他厩舎の勝てない馬に乗り変わると、「馬を壊す覚悟の大勝負」とファンから捉えられるほどの道中で、旧福山コースのキツイ4コーナーでスピードを緩めずインをハングオンの様に乗る事で、外に膨れずに最短コースを全速で走らせるという荒業を見せた。 しかしその騎乗で大半の馬は故障して元々騎乗していた騎手の乗り馬を減らす、危険な騎乗でレースを勝つ、親の七光りで良い馬を集められると言った理由から当時の同僚からは嫌われており、レースで逃げようとすると執拗な競り合いを強いられるなどした。

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]