金東勲
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(金原邦光から転送)
金東勲 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 김동훈 |
漢字: | 金東勳 |
発音: | キム・ドンフン |
金 東勲(きん とうくん、キム・ドンフン、朝鮮語: 김동훈、1886年(高宗23年 / 明治19年)1月6日[1] - 没年不明)は、大正から昭和にかけての朝鮮総督府官僚。日本名は金原邦光[2]。位階は正四位、勲位は勲三等[1]。
経歴
[編集]1886年に江原道春川郡で生まれた[3]。官立漢城日語学校を卒業[3]。教師となり、私立日語夜学舎教師などを歴任し[3]、1907年に大韓帝国学部大臣官房会計課に勤務する[3]。1910年に韓国が併合されると、朝鮮総督府の官吏となり、道書記に任命された[3]。1917年(大正6年)に郡守に昇進し[3]、江原道洪川郡守に任命された[3]。1921年(大正12年)には江原道財務部税務課長に任命され[3]、1924年(大正13年)に忠清北道財務部理財課長に転じた[3]。同年12月25日に咸鏡北道財務部長に昇進し[3]、1927年(昭和2年)に全羅北道財務部長[3]、1928年(昭和3年)に咸鏡北道内務部長[3]、1930年(昭和5年)に京畿道参与官兼産業部長を歴任した[3]。1935年(昭和10年)に忠清北道知事に任命され[3]、1939年(昭和14年)に退官[1]。
退官後には北鮮製紙化学工業株式会社監査役[2][4]、興亜商会株式会社専務に就いた[1]。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 浜口裕子『朝鮮総督府の朝鮮人官吏 : 満州国の中国人官吏との比較で』慶應義塾大学法学研究会、1994年。
- 帝国秘密探偵社 編『大衆人事録. 第14版 外地・満支・海外篇』帝国秘密探偵社、1942年 。
- 人事興信所 編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年 。