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クエンティン・マサイスの「醜い公爵夫人」

(しゅう)とは肉体的(または精神的に)魅力が感じられない、すなわち醜い(みにくい)様子を言い、特に視覚的なもの(人間の容姿など)を指すことが多い。しばしば醜さ(みにくさ)は嫌悪恐怖を引き起こす。対義語である。精神的な醜の意味では恥と同義で使われる(例:醜を天下にさらす)。また(しこ)は(主に接頭辞的に)醜悪なものや憎み罵るものへ対して、または自らに対し卑下の気持ちを込めて用いられる。

醜さは主観的な美学の問題であるという主張もあり、美しいと言われたある人が別人にとっては醜いと捉えられることもある。しかしながら人間の醜さは性淘汰の一部や遺伝的・肉体的な健康の指標となっているというのが科学的分野からの見解である。

醜い・美しいという語は肉体美の欠如だけでなく、音楽文学、人間の仕草などにも当てはめられる。

関連項目[編集]