赤堀鉄吉
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赤堀 鉄吉(あかほり てつきち、1890年(明治23年)4月3日 - 1968年(昭和43年)1月1日[1])は、日本の外交官。台湾総督府官僚、弁護士[1]。
経歴
[編集]大阪市此花区西島町出身[2]。1918年(大正7年)、東京帝国大学法学部英法科を卒業。愛知県属、台南州警務課長・理蕃課長、台北州教育課長、高雄州警務部長、同内務部長、台中州警務部長、殖産局鉱務課長・商工課長、同山林課長・鉱務課長、文教局学務課長、内務局地方課長・地理課長、殖産局農務課長、専売局庶務課長、新竹州知事、高雄州知事などを歴任した。
退官後は台湾住宅営団理事長に就任した。
1942年(昭和17年)より中華民国大使館参事官・廈門総領事を務めた。戦後に弁護士を開業[1]。墓所は多磨霊園。
栄典
[編集]- 外国勲章佩用允許
脚注
[編集]- ^ a b c 『朝日新聞』(東京本社発行)1968年1月5日朝刊、16頁。
- ^ 臺灣新民報社 1937, ア4頁.
- ^ 「赤堀鉄吉外十四名外国勲章記章受領佩用の件」 アジア歴史資料センター Ref.A10113504500
参考文献
[編集]- 臺灣新民報社 編『臺灣人士鑑』呂靈石、1937年 。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版』帝国秘密探偵社、1943年。