出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宮木 広大(1899年〈明治32年〉9月12日 - 没年不明)は、昭和時代前期の拓務官僚、農商務官僚、台湾総督府官僚。
東京市に生まれる。第二高等学校を経て[2]、1923年(大正12年)3月に東京帝国大学経済学部を卒業し、農商務省に入省し商務局属となる[2]。翌年11月[2]、高等試験行政科に合格。農商務省鉱山監督局書記官、商工事務官、拓務事務官、拓務書記官、拓務局事業課長、同局南洋課長、ブラジル赴任を経て、1940年(昭和15年)5月に新竹州知事に就任し、1942年(昭和17年)7月に台南州知事に転じた。1943年(昭和16年)退官した。
その後、台湾拓殖理事を務めた[4]。戦後、公職追放となった[2]。
|
---|
五州三庁時代 |
- 服部仁蔵1920.9.1-1921.10.8
- 常吉徳寿1921.10.8-1922.5.15
- 梅谷光貞1922.5.15-1923.10.25
- 佐藤勧1923.11.3-1924.12.23
- 古木章光1924.12.25-1927.4.22
- 永山止米郎1927.4.22-1929.4.20
- 田端幸三郎1929.4.20-1931.5.8
- 野口敏治1931.5.8-1931.9.12
- 猪股松之助1931.9.12-1932.3.15
- 内海忠司1932.3.15-1935.9.2
- 増田秀吉1935.9.2-1936.10.16
- 赤堀鉄吉1936.10.16-1939.1.28
- 林田正治1939.1.28-1939.7.24
- 一番ヶ瀬佳雄1939.7.24-1940.5.25
- 宮木広大1940.5.25-1942.7.3
- 鈴木秀夫1942.7.13-1943.3.29
- 藤村寛太1943.3.29-1943.8.7
- 江藤昌之1943.8.7-1945.10.25
|
---|
カテゴリ |
|
---|
五州三庁時代 |
- 枝徳二1920.9.1-1921.10.8
- 吉岡荒造1921.10.8-1923.12.8
- 松井栄尭1923.12.8-1924.12.23
- 喜多孝治1924.12.23-1927.7.27
- 片山三郎1927.7.27-1929.4.20
- 永山止米郎1929.4.20-1930.5.23
- 名尾良辰1930.5.23-1931.5.8
- 横光吉規1931.5.8-1932.3.15
- 今川淵1932.3.15-1936.2.26
- 藤田傊治郎1936.2.26-1936.10.16
- 川村直岡1936.10.16-1939.12.27
- 石井龍猪1939.12.27-1940.5.25
- 一番ヶ瀬佳雄1940.5.25-1942.7.3
- 宮木広大1942.7.3-1943.3.29
- 宮尾五郎1943.3.29-1945.10.25
|
---|
カテゴリ |