賤機山城
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賤機山城 (静岡県) | |
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臨済寺から見た賤機山城(背後の山上) | |
別名 | 籠鼻、籠山 |
城郭構造 | 山城 |
天守構造 | なし |
築城主 | 今川範政? |
築城年 | 1411年(応永18年)ごろ? |
主な改修者 | 武田氏? |
主な城主 | 今川氏、武田氏 |
廃城年 | 1582年(天正10年)以降 |
遺構 | 曲輪、土塁、堀切 |
指定文化財 | なし |
再建造物 | なし |
位置 | 北緯34度59分41.8秒 東経138度22分29.8秒 / 北緯34.994944度 東経138.374944度座標: 北緯34度59分41.8秒 東経138度22分29.8秒 / 北緯34.994944度 東経138.374944度 |
地図 |
賤機山城(しずはたやまじょう)は、静岡県静岡市葵区大岩・籠上・昭府町にあった日本の城。
概要
[編集]市内を南北に流れる安倍川の左岸に沿うように伸びる賤機山(標高171メートル)山頂にある。築城年代は駿河の守護・今川範政が駿府に入った1411年(応永18年)ごろとされるが、さらに古いとする意見もある[1]。
馬の背状の尾根最上部に本曲輪を構え、櫓台や土塁が配置されている。南北の尾根にも複数の曲輪があり、狭い尾根筋には堀切を設けて遮断し防御性を高めている。本曲輪のある山頂は今川館(後の駿府城)の北西、今川氏の菩提寺である臨済寺の真裏にあたり、詰の城であったとされている[1]。
『甲陽軍鑑』等の史料では「籠鼻」や「籠山」の名で登場し、武田信玄が駿河を侵攻した1568年(永禄11年)の12月13日に武田勢に占拠されて落城。この時、武田側により一部改修が加えられた可能性が指摘されている[2]。その後さらに1582年(天正10年)の徳川家康入府の際に再び落城し、廃城となったという[1]。
現在の賤機山は市街地に程近いハイキングコースとなっており、曲輪や堀切などの遺構を見ることが出来る。