賀島政重

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賀島 政重
時代 戦国時代 - 江戸時代前期
生誕 慶長3年(1598年
死没 万治3年11月1日1660年11月25日
別名 細山長門、河内、越後、主水
戒名 長熊(幼名)→政重
主君 蜂須賀家政豊臣秀吉徳川家康蜂須賀忠英徳川秀忠徳川家光
氏族 賀島氏
父母 父:賀島政慶
母:稲田植元の娘
兄弟 娘(稲田植次室)、娘(林正吉室)
正室:山崎正冬の娘
重玄、冬知、林貞恒
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賀島 政重(かしま まさしげ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将阿波徳島藩家老賀島家3代当主。父は蜂須賀家家老・賀島政慶。母は稲田植元の娘。正室は山崎正冬の娘。子は賀島重玄、賀島冬知、林貞恒。幼名は長熊。通称は細山長門、河内、越後、主水。

生涯[編集]

慶長3年(1598年)、細山政慶(賀島政慶)の子として阿波富岡城に生まれる。慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いの際には大坂城で証人(人質)を務めた。慶長19年(1614年)、大坂冬の陣、慶長20年(1615年)、大坂夏の陣に出陣する。

元和2年(1616年)、賀島に復姓する。元和5年(1619年福島正則改易の際に、父と共に広島城受け取りの御先手を務める。寛永4年(1627年)、父の死去により家督相続し、蜂須賀家家老を務めた。

寛永15年(1638年)、江戸幕府一国一城令により富岡城を破却する。正保4年(1647年)、蜂須賀家が田安門普請を命じられ、その監督を務める。その際に普請視察の将軍徳川家光に拝謁する。万治3年(1660年)11月1日、死去。享年63。家督は嫡男の重玄が相続した。

系譜[編集]

関連項目[編集]

参考文献[編集]