牛岐城

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牛岐城
徳島県
城郭構造 平山城
築城主 不明
築城年 不明
主な改修者 不明
主な城主 新開実重新開実綱(新開道善)
遺構 石垣
位置 北緯33度55分15.1秒 東経134度39分29.0秒 / 北緯33.920861度 東経134.658056度 / 33.920861; 134.658056座標: 北緯33度55分15.1秒 東経134度39分29.0秒 / 北緯33.920861度 東経134.658056度 / 33.920861; 134.658056

牛岐城(うしきじょう)は、徳島県阿南市富岡町にある日本の城跡。別名は富岡城浮亀城海部郡牟岐町にある「牟岐城(むぎじょう)」とは異なる。

歴史[編集]

築城年代は明らかにされていないが、至徳年間1384年 - 1386年)に細川氏に従っていた新開実重が、阿波国に入った際に築城(浮亀城)した説が有力である。

天正10年(1582年)、城主であった新開実綱(新開道善)が長宗我部元親に謀殺され、香宗我部親泰が入った[1]

天正13年(1585年)、蜂須賀家政が阿波国を領有とし、支城群阿波九城の一つとして家老である賀島主水政慶に1万石を与え、城代とした。政慶は入城後、牛岐の地を富岡と改名したため、牛岐城富岡城と呼ばれるようになった[1]

その後、寛永15年(1638年)に一国一城令により廃城となった。

遺構[編集]

城のあった小山の周囲に堀を巡らせていたと窺えるが、宅地開発などにより遺構のほとんどは失われている[1]。かろうじて残った元の城山の南半分の頂上に、八角形の展望室を設置するなどした「牛岐城址公園」となっている。産業記念館(後に牛岐城資料館)の建設前に行なわれた発掘調査で、主郭部分に石垣が認められ、徳島城と同様の野面積みであったことが確認された[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 福永、2007、p.46

参考文献[編集]

  • 福永素久「阿波国蜂須賀氏の支城「阿波九城」について」『史学論叢.37』pp.37-59、2007年 pdf2014年8月20日閲覧

関連項目[編集]

外部リンク[編集]