谷衛弼
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 文政5年12月3日(1823年1月14日) |
死没 | 安政2年11月25日(1856年1月2日) |
官位 | 従五位下・播磨守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家慶、家定 |
藩 | 丹波山家藩主 |
氏族 | 本多氏(彦八郎家)、谷氏 |
父母 | 本多康禎、谷衛昉 |
兄弟 |
本多康融、朽木綱張、衛弼、本多康穣、 植村家保ら |
妻 | 鉚(谷衛昉娘) |
子 | 衛滋、谷衛滋正室 |
生涯
[編集]弘化2年(1845年)9月5日、養父の谷衛昉が隠居したため、跡を継いだ。同年9月15日、12代将軍・徳川家慶に拝謁した。同年12月16日、従五位下・播磨守に叙任した。
安政2年(1855年)11月25日に34歳で死去し、跡を正室の妹婿[1]の衛滋が継いだ。
系譜
[編集]脚注
[編集]- ^ どちらも谷衛昉の娘