谷好井

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谷 好井(たに よしい、寛保2年(1742年) - 文化2年(1805年))または谷 伴兄(たに ともえ)は、江戸時代儒学者国学者土佐藩士。号は万六(ばんろく)。高山彦九郎の遺髪を保持した谷干城の祖父にあたる。

略歴・人物[編集]

土佐藩の上士の家に生まれる。生家は谷時中南学の流れを汲む儒家の家であり、実兄は9代土佐藩主山内豊雍に重用された谷真潮である。祖先に山崎闇斎門下で渋川春海暦法を学んだ大学者谷秦山がいる。

谷好井は、京都江戸に遊学し、高山彦九郎工藤平助江上関龍長久保赤水らと交遊をもち、また、「憂国の士」として知られた。著書に『鍛冶起元』がある[1]

西南戦争で政府軍を指揮したことで知られる谷干城はにあたる。高山彦九郎の遺髪は、下総国猿島郡岩井の勤王家間中雲帆から譲られたものであった。

脚注[編集]

  1. ^ 収蔵品検索「鍛冶起元巻」”. オーテピア高知図書館. 2018年11月1日閲覧。

外部リンク[編集]