藤原資高

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藤原資高
時代 鎌倉時代中期 - 後期
生誕 文永2年(1265年
死没 嘉元2年6月22日1304年7月25日
改名 資行→資高
別名 二条
官位 正二位権中納言右衞門督
主君 亀山天皇後宇多天皇伏見天皇後伏見天皇後二条天皇
氏族 藤原北家道綱流楊梅庶流
父母 父:藤原資氏、母:平成俊
養父:藤原資季
兄弟 資高資藤、資世、乗尋、静寛、顕證、女子
資親資定
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藤原 資高(ふじわら の すけたか)は、鎌倉時代中期から後期にかけての公卿二条資高とも。正二位権中納言。本名は資行。実父は左中将藤原資氏だが、早くに出家したため祖父である権大納言藤原資季の嫡嗣として家を継いだ。

経歴[編集]

父資氏が早世のため祖父の嫡男として家を継いだとされているが、『尊卑分脈』によれば、父資氏は弘安7年(1284年)4月20日に病により出家し、没したのは嘉元4年(1306年)4月9日である。よって父資氏が病により出家したため祖父の跡を継いだと見る方が正しい。

官歴[編集]

以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。

系譜[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 父前権大納言藤原朝臣資季、去る文永3年八幡御神楽宮人賞の譲り。
  2. ^ 神木が帰座する以前に元日節会に出仕していたから、などが理由という。

出典[編集]

  • 公卿補任』(新訂増補国史大系)吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編集会(編)
  • 尊卑分脈』(新訂増補国史大系)吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編集会(編)
  • 荒涼記』(資季卿記)(早稲田大学図書館 古典籍総合データベース)