落柿舎

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落柿舎(らくししゃ)は、嵯峨野京都府京都市右京区)にある草庵

概要[編集]

松尾芭蕉弟子向井去来(1651年 - 1704年)の別荘として使用されていた草庵である。名は、庵の周囲の柿が一夜にしてすべて落ちたことによる。芭蕉も3度訪れて滞在している。

現在の庵は後年に再建されたもので、去来が使用していた当時のものとは場所も異なる。庵の裏手には去来の墓がある。

名前の由来[編集]

去来がこの草庵について書いた『落柿舎ノ記』がある。

日頃去来は、管理人にこの庵を任せていたが[1]。この庵の周囲には40本の柿の木があったという[1]。ある時(1689年(元禄2年)頃[2])、去来が在庵中に都から来た老商人に庭のを売る約束をして代金を受け取った[1]。が、その夜に嵐が吹いて、一晩にして柿がすべて落ちてしまった[1]。翌朝来た老商人がこの有様に呆然として、詫びつつ代金の返却を求めるのを不憫に思い、柿の代金を全額返した[1]。こうしたことがあり、自ら「落柿舎の去来」と称したという[1]

歴史[編集]

去来は、貞享2-3年(1685年 - 1686年)ころに、嵯峨野にあったこの庵を入手した[2](なお、去来の当時の庵の正確な場所は不明である[2])。もともと豪商が建築したものである[2]

芭蕉は、1689年元禄2年)以来3度にわたってこの庵を訪れた[1]。とくに1691年元禄4年)には4月18日から5月4日までと長く滞在し、『嵯峨日記』を著した[1][2]。このほか、野沢凡兆とその妻・羽紅(うこう)、去来が訪ねてきて一つの蚊帳で5人が一緒に寝たりしている。

現在の庵は、1770年(明和7年)に俳人・井上重厚(嵯峨出身で、去来の親族でもある)により再建されたものである[1][2]。この場所は弘源寺の跡であった[2]。また明治初年にも再興されている[2]

現在は、公益財団法人落柿舎保存会によって保存・運営がなされている。2008年平成20年)12月1日から2009年(平成21年)9月末まで庵の大規模な修復工事が行なわれた。

文芸・歌曲の中での言及[編集]

フォークデュオタンポポの楽曲「嵯峨野さやさや」(1975年)の2番で「雨の落柿舎 たんぼ道」と歌われている。

所在地[編集]

  • 京都府京都市右京区嵯峨小倉山緋明神町20

交通アクセス[編集]

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i 落柿舎について”. 落柿舎. 2017年4月26日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h 落柿舎”. 日本大百科全書(ニッポニカ)(コトバンク所収). 2017年4月26日閲覧。

参考文献[編集]

  • 坪内稔典「柿への旅5 俳句の家・落柿舎」『図書』2009年8月号、岩波書店

外部リンク[編集]

座標: 北緯35度1分14.2秒 東経135度40分15.2秒 / 北緯35.020611度 東経135.670889度 / 35.020611; 135.670889