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菊池為政

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菊池 為政
時代 江戸時代末期(幕末
生誕 天保10年(1839年
死没 明治23年(1890年
改名 為政 → 興
別名 通称:平八郎
幕府 江戸幕府
主君 徳川慶篤徳川昭武
水戸藩清水徳川家
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菊池 為政(きくち ためまさ)は、幕末期の水戸藩士。通称平八郎徳川昭武パリ万国博覧会派遣に随行した。明治期と改名。

概要[編集]

Japanese Delegation Tokugawa Akitake in Marseille France 1867
ほぼ中央、画面左を向く横顔の人物が菊池平八郎為政

幕末期京都に在留する水戸藩士いわゆる本圀寺勢に属し、藩主徳川慶篤の弟昭武小姓頭取として井坂泉太郎とともに近侍し、身辺の世話や警護の責任者であった。1867年慶応3年)、昭武が将軍名代としてパリ万国博覧会に派遣された際、これに随行した[1]

  • 1864年(元治元年)6月23日、菊池平八郎ほか、公子御滞京中各差留達[2]
  • 1865年(慶應元年)7月11日、菊池平八郎ほか、職務勉励に付、金二分一朱被下、12月28日、小姓頭取菊池平八郎ほかに金二百疋、何れも民部太夫様御附相勤被下[2]。それまで、菊池平八郎は本圀寺御附である[3]。昭武に従った旅程[4]を示す。
  • 1867年(慶應3年)1月3日、京都発、神戸より幕府軍艦、長鯨丸に乗船、1月9日、横浜着、
  • 1867年2月15日(慶應3年1月11日)、フランス、メッサリーアンペリアル社の飛脚船で横浜発、香港で大型船に乗換え、スエズから鉄道、アレキサンドリアから船で、2月29日、マルセイユ着。平八郎について記す。

1867年4月5日(慶應3年3月1日)、マルセイユの写真場で集合写真を撮る。昭武の隣、小姓頭取菊池平八郎として太刀を捧げ、大小を帯刀、髷のある和装姿で写る[5]。 後に、渋沢栄一は、自分の苦難はお附の7人の士ではなく、綱吉という水戸者にあったと語る[4]。 資料[6]での記述が明瞭ではないが、5月22日、

初めて洋服を着し己が身にさへ恥しく思へる
ますかゞみ心を照らせ姿こそかはれど同じ大和魂

とよんだのは、12月に帰国した者である。

1867年9月17日(慶應3年8月20日)、昭武のナポレオン三世謁見の儀で、菊池平八郎は、「控席迄」である[7]

  • 1867年12月1日(慶應3年11月6日)、昭武に従い、イギリスに向かう[5]

1867年12月21日(慶應3年11月26日)、小姓4人の病気による帰国願いを提出する[5]。帰国の実情は、洋装し刀を差さぬという事であれば、暇を蒙って帰ると言った為で、帰国は12月25日である[6]。翌日、平八郎は昭武の乗馬散策に付添う[5]。 翌年、日本からの送金が滞り、あるいは、途絶え、滞在費の不足が現実となった頃、経費削減のため、他の留学生のほか、一行からも大半が帰国、渋沢栄一も、昭武、平八郎、自分等、計5人で長期留学を行う覚悟を持つ[4]。また、渋沢の提案により、各自への送金を積立て滞在費を工面するとの約定を、最後まで守ったのは、「菊池平八郎、三輪端蔵、澁澤篤太夫の三人のみであった」とされる。[8]

1868年2月15日(慶應4年1月22日)以降、資料[5]によっては、単に「平八郎」とした記述が増加する。 7、8月頃、先に帰国した二人が水戸から迎えに来て、帰国が決まる[4]

  • 1868年(明治元年)12月3日、横浜着[9]
  • 1869年1月20日(明治元年11月9日)、渋沢栄一と面会する[10]

帰国後は水戸藩に戻り、軽鋭隊第2大隊12番隊長となった。その後、興と改名。水戸市の丹下にて酪農に従事した[1]1878年(明治11年)、旧藩主らによる牛乳販売のための「桃林舎」設立に加わる[11]1889年(明治22年)12月17日には戸定邸を訪れ、昭武と対面している。1890年(明治23年)没。享年52[1]

演じた俳優[編集]

参照文献[編集]

  • 『図録 プリンス・トクガワ』 (松戸市戸定歴史館編集・発行、2012年発行、2021年改定)

出典[編集]

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  1. ^ a b c 『図録 プリンス・トクガワ』p16
  2. ^ a b 国立国会図書館 岩崎英重『維新日乗纂輯 第3 安政記事稿本.永田重三筆記.美玉』日本史籍協会 大正14-15
  3. ^ 国立国会図書館 武熊武『水戸藩末史料』武熊武 明35.2
  4. ^ a b c d 国立国会図書館『[維新史料編纂会]講演速記録』維新史料編纂会 明44-大6
  5. ^ a b c d e 国立国会図書館 大塚武松『渋沢栄一滞仏日記』日本史籍協会 昭和3
  6. ^ a b 国立国会図書館 尾佐竹猛『夷狄の国へ : 幕末遣外使節物語 4版』万里閣書房 昭和4
  7. ^ 国立国会図書館 大塚武松編『徳川昭武滞欧記録 第一 (日本史籍協会叢書)』日本史籍協会 1932
  8. ^ 国立国会図書館 白柳秀湖『左傾児とその父』千倉書房 昭和8
  9. ^ 国立国会図書館 小貫修一郎 筆記『渋沢栄一自叙伝 増版』渋沢翁頌徳会 昭和13
  10. ^ 公益財団法人 渋沢栄一記念財団 デジタル版『渋沢栄一伝記資料』、条件が不明のためリンクは行わない。
  11. ^ 日本酪農乳業史研究会会長矢澤好幸 『酪農乳業の発達史、47都道府県の歴史をひも解く 改訂版』一般社団法人Jミルク、pdfファイルがあるが、リンク条件不明のためリンクしない。