春川英蝶

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春川 英蝶(はるかわ えいちょう、天明4年(1784年) - 嘉永元年(1848年)以降)とは、江戸時代後期の京都の浮世絵師

来歴[編集]

春川五七菊川英山及び渓斎英泉の門人。俗称は亀助。京都の人。英笑、春斎、英蝶と号す。始めに春川五七の門人となり、春川英笑、春川英蝶と称し、次に菊川英山、渓斎英泉の門に入り、菊川英蝶と称した。

文政1818年-1830年)から天保1830年-1844年)頃に活躍、錦絵では美人画を多く残した他、多くの草双紙挿絵を描いている。英笑と称して多くの滑稽本などの挿絵をしており、文政9年(1826年)刊行の二世楚満人作の滑稽本『玉櫛笥』一冊、文政10年(1827年)刊行の恋川行町作の合巻『金敵夢世語』(かねがかたきゆめのよがたり)三巻、天保9年(1838年)刊行の滝亭鯉丈作の滑稽本『伊勢土産二見盃』三冊、文政11年(1828年)刊行の為永春水作の合巻『蝶鵆鎌倉模様』前編三巻後編三巻、文政9年から文政11年にかけて刊行された同じく為永春水作の人情本『婦女今川』(おんないまがわ)三編10冊などがあげられる。なお『婦女今川』においては、貞斎泉晁歌川芳藤も挿絵を描いている。江戸にて没した。

作品[編集]

参考文献[編集]