若林村

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わかばやしむら
若林村
廃止日 1957年9月30日
廃止理由 分割編入
若林村 → 砺波市、石動町
現在の自治体 砺波市小矢部市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方北陸地方
都道府県 富山県
西礪波郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
隣接自治体 石動町、砺中町、砺波市
若林村役場
所在地 富山県西礪波郡若林村
座標 北緯36度39分33秒 東経136度54分33秒 / 北緯36.65914度 東経136.90911度 / 36.65914; 136.90911座標: 北緯36度39分33秒 東経136度54分33秒 / 北緯36.65914度 東経136.90911度 / 36.65914; 136.90911
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若林村(わかばやしむら)は、かつて富山県西礪波郡にあった

沿革[編集]

  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、礪波郡金屋本江村、西中村、狐島村、下中村、砂田村及び水牧村の区域をもって、礪波郡若林村が発足する。
  • 1896年(明治29年)3月29日 - 郡制の施行のため、礪波郡が分割して、西礪波郡が発足により、西礪波郡に所属となる。
  • 1957年昭和32年)9月30日 - 西礪波郡若林村を分割する、次のとおり。
    • 大字狐島、大字西中の区域の一部及び下中の区域の一部の区域 → 砺波市に編入する。
    • 大字金屋本江、大字水牧、大字西中の区域の一部及び大字下中の区域の一部の区域 → 西礪波郡石動町に編入する。

経済[編集]

農業

『大日本篤農家名鑑』によれば若林村の篤農家は、「黒田次郎右衛門、太田一成、柴藤義則」などである[1]

医療[編集]

医師
  • 喜多養元[2]
  • 喜多文一郎[2]

文化・芸能[編集]

  • 下中地区では獅子舞が受け継がれ、砺波市下中と小矢部市下中に行政界が分かれた以降も断続的ではあるが続けられた。1980年代神社の修復と獅子頭の修繕を記念して再度復活して以降、毎年8月29日の秋祭りで演舞が続けられてきたが、人口の減少を理由に2023年をもって再び休止した[3]

脚注[編集]

  1. ^ 『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年、504頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年1月18日閲覧。
  2. ^ a b 『最近調査大日本医師名簿』光明社、1931年、282頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年1月18日閲覧。
  3. ^ 地域融和象徴の獅子舞休止へ 砺波、小矢部市下中の上村”. 北國新聞DIGITAL (2023年8月30日). 2023年8月30日閲覧。

参考文献[編集]

  • 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。

関連項目[編集]