置始女王 (光仁朝 - 桓武朝)

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置始女王(おきそめじょおう/おきそめのおおきみ、生没年不詳 )は、奈良時代から平安時代にかけての日本皇族。系譜は不明。位階従五位上

経歴[編集]

光仁朝宝亀11年(780年)5月、無位から従五位下に叙爵する[1]

その後、桓武朝延暦5年(786年)正月には、忍坂女王とともに従五位上に昇叙している[2]。それからしばらくたち、延暦13年(794年)7月に、山背河内摂津播磨などの国の稲一万一千束が、新京(平安京)に家を建てる費用という名目で、百済王明信五百井女王和気広虫因幡国造浄成女ら14人とともに賜与されている[3]

以降の事績は不明である。

官歴[編集]

六国史』による。

脚注[編集]

  1. ^ 『続日本紀』巻第三十六、光仁天皇 宝亀11年5月29日条
  2. ^ 『続日本紀』巻第三十八、桓武天皇 今皇帝 延暦5年正月14日条
  3. ^ 『日本後紀』巻第三、桓武天皇 延暦13年7月9日条

参考文献[編集]