細川政之助
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細川 政之助(ほそかわ まさのすけ、1898年(明治31年)10月15日 - 1990年(平成2年)4月18日[1])は、日本の商工官僚、実業家、弁理士。細川特許事務所長。
人物
[編集]富山県人・細川次郎左衛門の二男[2][3]。1924年、東京帝国大学法学部政治科を卒業[3][4]。商工省に入る。特許局事務官、鉱山監督局書記官等を経て[5]、大阪鉱山監督局長、技術院審判部長等を歴任[3]。
退官後日本金属常務専務を経て1947年、日本歯科機材社長に就任[3]。趣味はゴルフ[4]、旅行[2][5]。宗教は仏教[2][5]。東京在籍で[2][4]、住所は東京大田区田園調布[2][5]、同区北千束[3]。
家族・親族
[編集]- 細川家
- 父・次郎左衛門[5]
- 妻・まつゑ(1907年 - ?、富山、鹿熊久安の三女[3]、あるいは二女[2][5])
- 男(1931年 - )[2][5]
- 二男(1936年 - )[3][5]
- 長女(1929年 - )[2][5]
- 親戚
脚注
[編集]- ^ 「細川 政之助氏(ほそかわ・まさのすけ=朝日新聞国際本部長細川洋一、佐々木硝子常務取締役細川博之氏の父)」『読売新聞』1990年4月19日、23面。
- ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第14版 下』ホ16頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年2月26日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第15版 下』ホ5頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年4月18日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第13版 下』ホ6頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年4月18日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第12版 下』ホ17頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年4月18日閲覧。
参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版 東京篇』帝国秘密探偵社、1938年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版 下』人事興信所、1937-1939年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
- 人事興信所編『人事興信録 第15版 下』人事興信所、1948年。